自省録

2014/4/18 おおきなかぶ、むずかしいアボガド 村上ラヂオ2

【走った距離】  6.11km
【今月の累積距離】  90.01km
【ペース】 平均 6'32"/km、 最高 6'05"/km
【天気】 雨のち曇り 
【気温】 最高 18℃、最低 13℃
【体重】  65.4kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
村上春樹のショートエッセイ。
他愛のない話が多いが、
共感した話を紹介。
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「オリンピックはつまらない?」
 しかし日本に帰ってきて、テレビで録画したものを見返すと、
これが見事なまでにつまらない。
どうしてかというと、日本選手の出るゲームしか中継しないから。
そしてメディアの視点は「日本がメダルをとるかとらないか」
という一点に集約され、カメラの視点もそれに寄り添ったものになっている。
 僕は現地で日本選手・チームの出る試合ももちろん見たけれど、
それよりは日本と関係のないゲームを飛び込みで見る方が多かった。
たとえばドイツとパキスタンのホッケー試合、とか。
そういうのって、ただそこにいて見ているだけで面白いんですよね。
利害か絡んでないぶんゲームの流れを純粋に楽しみ、
プレイにわくわくすることができる。
世界には様々な人がいて、強いなりに弱いなりに
懸命に汗を流してがんばってるんだと実感する。
メダルを何個とったかなんて、
国家や国民のクォリティーとは何の関係もない。つくづくそう思う。
 実際のオリンピックにはそういうナマの血が通った温かい雰囲気がある。
不思議な「場の力」みたいなものが。
ところがテレビの画面からは、それはほとんど伝わってこない。
どこかにすぼっと消えてしまっている。
日の丸が揚がった揚がらなかった、だけで話がどんどん進み、
アナウンサーか大声をあげ、強い世論みたいなものまで作られていく。
これは選手たちにとっても僕ら白身にとっても不幸なことではないか。


メダルが取れず空港で謝ることもないのだろう。

「究極のジョギング・コース」
 究極のジョギング・コースがアメリカ、オレゴン州
ユージーンという町の郊外にある。
運動具メーカー、ナイキがそこに本社をかまえていて、
広大な敷地内にその特別なコースは作られている。
ナイキの社員以外の人間はそこを走ることができない。
 コースは一周の長さが3キロほどで、鳥の声を聴きながら美しい森を抜け、
なだらかなに陵を上下し、路面には柔らかいおがくずがみっちり敷き詰めてある。
だからどれだけ走っても足が痛むことはない。そういう話たった。
 ほんとかなあ、と僕は半分くらい眉に唾をつけながら話を聞いていた。
そんな夢のようなコースが、この矛盾と悲哀と暴力と異常気象に溢れた世界に、
現実に存在するのだろうか? 
もし本当にあるなら、一度でいいから自分の足で走ってみたい。そう思っていた。


私がベルギーで走っていたランニングコースはもっと素晴らしかったです。
鳥の声を聴きながら古城や庭園や美しい森を抜け、
鴨やリスやウサギを見ながら、
路面にはチップが敷き詰めてある....

「新聞ってなに?」
 新聞休刊日というのがありますね。
月に一回前後のペースで、日本新聞協会に所属している新聞社は新聞を発行しない。
宅配もなく、駅売りもない。つまり特殊な例外を除いて、
日本全国から新聞がそっくり消えてしまうわけだ。
僕はいくつかの国で暮らして新聞を読んできたけど、
新聞が休みを取るなんていう話は耳にしたことがない。
毎日出すから日刊紙なので、一日でも休んだら意味がない。
あなたの心臓は「毎日せっせと働いて疲れるから、
今日は悪いけど一日休むわ」なんて言いますか? 
新聞とは社会の鼓動を伝える公器ではないか。
 「お互いときどき交代で休みをとりましょうや」というのなら、
一歩ゆずってありかもしれないと思う
。でも全国の新聞が同じ日に、横並びで揃って新聞を出さないのは、
いくらなんでもひどい。
新聞社は「新聞配達の人を休ませるためだ」と言うが、
そんなの就労条件を考慮すればいいことであって、
だから新聞を出さないというのは、目的と手段が完全に逆転している。
なぜアメリカで休みなしの宅配ができて、日本でできないのか、その理由を知りたい。
 みたいなことを書くと、新聞社にねちねちいじめられるというのは、
物書きの世界では常識です。僕もそういう経験をしたことはある。
前にこの手のことを書いたら、新聞社の偉い人がすぐに飛んできて、
レクチャーみたいなのをぶっていった。要するにソフトな脅しだ。
だから多くの人は口を閉ざす。横並びのいじめ、
というのはきっと日本社会の基本体質なんだね。
談合やいじめを声高に批判するメディアが、自分でも同じことをやってるんだから情けない。
こんなことしてたら今にひどい目にあうぞと思っていたら、案の定というか、
人々はだんだん新聞を読まなくなった。
 結局のところ新聞休刊日ができたおかけで、人々はそれに慣れて「新聞がなくたって、
べつに不自由ないじゃん」と考えるようになったのかもしれない。
だとしたら要するに自分で自分の首を絞めたようなものですね。


ノーコメント。

「本が好きだった」
 スペインのガリシア地方にサンティアゴ・デ・コンポステーラという都市があり、
ここの高校生たちが「今年読んだいちばん面白かった本」を選び、
その作家を学校に招待する。
数年前に『海辺のカフカ』が選ばれ、
僕が海を越えて表彰式に出向くことになった。
もちろん高校生にそんなお金かおるわけはなく、どこかのスポンサーがついている。
 高校の講堂で表彰式があり、そのあとみんなでテーブルを囲んで食事をする。
で、高校生だちといろんな話をしたのだけど、みんな小説の話をすると目がきらきらする。
でも男女の別なくほとんどの学生は、大学に進むと文学ではなく、
医学や工学を専攻するという。
「ガリシアは豊かな土地ではなく、産業もあまりありません。
外に出て仕事をみつけなくてはならず、
そのためには実際的で専門的な技術を身につける必要があるのです」と
一人が僕に教えてくれた。ずいぶんしっかりしている。
 そういう若い人たちが、こんな遠く離れたところで熱心に、
あるいはときには貪るように、僕の小説を読んでくれているのだと思うと、とても嬉しかった。
そういえば僕も高校生の頃は目をきらきらさせて、
時間が経つのも忘れて本を読んでいたな、と思い出した。


この本を読んでいた時に偶然Facebookでこの高校生と食事をしている写真の
投稿を見つけた。
確かに目がきらきらしている。

This morning, I jogged along the stream.
It was a very delightful experience.
I wish I could stay for a while here, Santiago de Compostela.
I like the octopus dish.”
-- Haruki Murakami in Spain,
where he accepted an award
from the Rosalia de Castro high school (2009)

(Photo: Haruki Murakami is surrounded by high school students
in Santiago de Compostela, Spain.
 Provided by Rosalia de Castro school)

となりはきっと奥さんでしょう。
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by totsutaki2 | 2014-04-19 00:11 | 読書

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