自省録

2014/2/2 大空のサムライ1 生涯

【走った距離】  25.54km
【今月の累積距離】  41.91km
【ペース】 平均 6'11"/km、 最高 5'41"/km
【天気】 曇り 
【気温】 最高 17℃、最低 10℃
【体重】  63.8kg
【コース】
自宅~豊里大橋
【コメント】
坂井三郎は大日本帝国海軍の基地航空隊の戦闘機パイロット。
九六式艦戦、零戦を駆り、出撃200余回・撃墜64機を記録した。
坂井について特筆すべき点は、自分の編隊に加わったパイロットを失わなかったこと。
第二次世界大戦中これを成し遂げたのは坂井だけ。

常在戦場、集中力、自己統御、自己研鑽、平常心。
言葉としては知っているが、自分でできる範囲でしか理解ができていない。
零戦飛行士、坂井三郎の自著「大空のサムライ」と娘の道子の「父、坂井三郎」は
人間にはどこまでできるのか、それにはいかに努力が必要か、を教えてくれる。
坂井の著書を読んで人間には不可能はないと思うようになった、
仕事が殺到しても、時間がなくても、零戦パイロットに比べれば大したことはない、
と落ち着いて対処できるようになった。。
暫く、坂井三郎の言行を辿ってみたい。

生涯

故郷で飛行艇の旋回を見て、飛行機に対しての憧れをもち海軍へと入隊する。
最初の所属は戦艦「榛名」。花形の二番砲塔砲手に命じられるものの、
飛行機パイロットへの道を志すべく、操縦練習生を目指す。
主席で卒業。戦闘機パイロットとなった。

日中戦争で空戦の経験を積む。
1941年の太平洋戦争開戦後は、南方を転々としつつ戦果を重ね、ラバウルまで進出。
ソロモン海、ニューギニアでの空戦を繰り返す。
1942年8月、ガダルカナルでの空戦の際、頭部を負傷する。
右側の視力を失い、半身不随のような状況でありがも
不屈の意思で4時間という長時間飛行を行い、無事ラバウルへと帰還する。

右目の視力を失い、左目の視力も落ちたため、一時教官となったが、硫黄島戦線に復帰。
片目のみの視力で戦闘参加したが、敵編隊15機に包囲される。
それまでの経験と能力により身につけた高度な空戦技能は彼を最後まで救い、
15対1でみごと攻勢に転じて、一発も被弾することなく無事切り抜けた。

戦後は、印刷会社を経営するなどの傍ら、「大空のサムライ」を記述。
第二次世界大戦中、日本軍のパイロットの姿が見えない中、
若き戦闘機パイロットたちの群像と生き様は共感を呼び、
各国で訳され、ベストセラーとなる。
全世界での売上は100万部を突破した。
ヨーロッパでは最も有名な日本人作家による文学作品の一つ。
2000年9月22日 在日米軍の夕食会出席後体調不良を訴え入院。
そのまま死去した。享年80歳。その死は海外にも伝えられ、報道されることになる。

座右の銘は「不撓不屈」
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by totsutaki2 | 2014-02-02 19:49 | 読書

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