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自省録

2013/1/7 千日回峰行 光永覚道6 楽志

【走った距離】  5.74km
【今月の累積距離】  144.16km
【ペース】 平均 6'22"/km、 最高 5'34"/km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 10℃、最低 1℃
【体重】  65.3kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
苦労を楽しむ。
ランニングも同じ。
気持ちが乗っているときは40kmでも苦にはならないが、
気が乗らないときは5kmでも長い。
何をするにも障害はつきもの。
何をするにも心がけ次第。
自分は苦労していると言うのは、
自分が苦労を乗り越える工夫をするのを横着しているということ。

 実際に雨が降っていたら、ああ出たくないなと思う日もありました。
それでも毎日同じ時間に出て、同じようにお参りする。
無事今日も帰ってこられた。命を長らえた。
ですから私はいつもにこにこしてうれしそうな顔をして帰ってきていました。
毎日が勝負で、区切りが勝負ではないわけです。
それこそ無事に帰ってこられるかわからない道筋ですから、
一つひとつのお参りを重ねていくことによって、
たまたま三十キロ近い距離を歩くだけであって、
私にとっては、一つひとつ積み重ねたら三十キロになった。
最初から三十キロ歩くのが目的ではなく手段であり、目的はお参りであり、
次のところ、次のところとお参りを重ねていったら、
たまたま三十キロ歩いた、ということです。
 ただその一ヶ所一ヶ所をお参りすることは大変ですけれども、
無事にお参りして帰った時には何のてらいもなく実にうれしい。
足が痛ければ痛いほど、無事に帰ってきて足を休めることもできますし、
帰ってこれたよろこびもあります。
ですから無性にうれしい。
苦労が大きければ大きいほど、無事に帰った時には喜びも増します。
その積み重ねの結果として千日になりました。

 進んでする苦労というのは必ず身についてきます。
ですからこれが「楽志」、志を楽しむという考え方です。
人生、何をしても、現実社会のなかで障害のない行動なんてありえません。
自分の思い通りになることなんて、何一つないわけです。
何か一つするにも必ず障害があります。
自分か好きなことをしていても、障害があるのは当たり前であって、
何をしても障害はあるんです。
だから、自分か好きなことをさせてもらっていると思ったときに、
それに対する障害は楽しむべき対象であって、逃げるべき対象ではない。
私は、人に対して自分は苦労していると言うのは、
自分が横着していると宣言しているみたいなものだと思うんです。
それを楽しみながら取り組んでいたら、苦労が大きければ大きいほど、
それを成し遂げたときの喜びは大きいわけですから、
よかったということでニコッリ笑うことができます。
 それをいやだいやだと思ったり、あれも苦労した、
これも苦労したとばかり言い、本当に苦労したというような顔をしている人もいるでしょう。
この世の不幸を全部背負っているという顔をしている人もいます(笑)。
そういう人たちは全部、不足顔です。
不足ばかり言っていては、いつまで経っても結果が出てきませんし、
形としては結果を出しても何も進歩しないのではないですか。
ですから、同じミスを何度でも繰り返します。
自分でその苦労を乗り越える工夫がありませんから。

2013/1/7 千日回峰行 光永覚道6 楽志_b0217643_2144594.jpg


千日回峰行 光永覚道 おわり




by totsutaki2 | 2013-01-07 21:47 | 心の使い方

市民ランナーの市井の日常。 日々の出来事、感動を忘れないために
by TOTSUTAKI

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