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自省録

2012/12/21 「夜と霧」再読1 第一段階、第二段階

【走った距離】  6.16km
【今月の累積距離】  202.96km
【ペース】 平均 '"/km、 最高 '"/km
【天気】 曇りのち雨 
【気温】 最高 8℃、最低 1℃
【体重】  64.5kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
夜と霧には旧版と新版がある。
前回読んだのは旧版。

旧版の訳者は霜山徳爾さん。 
上智大学名誉教授であり、臨床心理学者。
著者ビクトール・フランクルの友人でもあった。
しかし如何せん研究者の文章。読みにくかった。

新版の訳者は翻訳家の池田香代子さん。
「世界がもし100人の村だったら」や「ソフィーの世界」など、私も読んだ良書を訳している。
何よりも文章がシンプルで読みやすい。
再読なので全体の構成がわかっている。
さらに文章が理解しやすいので、多くの新たな発見があった。

前回は

「壮健な人よりもむしろ、精神レベルの高い人の方が収容所を生き延びた。
そのような人はこころが現実の世界からを自由になり、
内的な豊かさへと逃れることができた。」
「人生に何かを求めるのではなく、
人生が我々に何を求めているのかを考える。
心理学的分析は哲学的、宗教的思考に昇華した。」
と読み取った。今回は何を得たか?

少し長くなります。

前回も述べたが、ドイツ語版原題は「ある心理学者、強制収容所を体験する」。
基本的にこの「夜と霧」という本は極限的な状況で人間はどのような心理状態になるかを、
心理学者の視点から冷静に分析した研究報告である。
ただその内容があまりにも重く、感動的なため読者に「言語を絶する感動」を与え、
米国で「私の人生に最も影響を与えた本」となり、
日本でも「読者の選ぶ21世紀に伝える」本となっている。

被収容者の第一段階は、収容ショック
第二段階は、感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心とその帰結としての退行。

収容所生活への被収容者の心の反応は三段階に分けられる。
それは、
施設に収容される段階、
まさに収容所生活そのものの段階、
そして収容所からの出所ないし解放の段階だ。

第一段階の特徴は、収容ショック、やけくそのユーモア、世界をしらっと外から眺め、
人々から距離を置く、冷淡とも言ってもいい好奇心
収容ショック状態にとどまっている被収容者は、死を全く恐れなかった。
収容されて数日で、ガス室はおぞましいものでもなんでもなくなった。
彼の眼に、それはただ自殺する手間を省いてくれるものとしか映らなくなるのだ。

 ここまでに描いた反応には、数日で変化がきざした。
被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。
内面がじわじわと死んでいったのだ。
これまで述べてきた激しい感情的反応のほかにも、
新入りの被収容者は収容所での最初の日々、
苦悩にみちた情動を経験したが、こうした内なる感情をすぐに抹殺しにかかったのだ。
 その最たるものが、家に残してきた家族に会いたいという思いだ。
それは身も世もなくなるほど激しく被収容者をさいなんだ。
それから嫌悪があった。あらゆる醜悪なものにたいする嫌悪。
被収容者をとりまく外見的なものがまず、醜悪な嫌悪の対象だった。

 罰を受け殴り倒される仲間をながめる被収容者は
すでに心理学で言う、反応の第二段階にはいっており、目を逸らしたりしない。
無関心に、なにも感じずにながめていられる。心に小波ひとつたてずに。
 靴がなかったために、はだしで雪のなかに何時間も点呼で立だされたうえに、
一日じゅう所外労働につかなければならなかった十二歳の少年は、足指が凍傷にかかった。
診療所の医師は壊死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。
それを被収容者たちは平然とながめていた。
嫌悪も恐怖も同情も憤りも、見つめる被収容者からはいっさい感じられなかった。
苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。
これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景になってしまい、
心が麻庫してしまったのだ。

 感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。
これら、被収容者の心理的反応の第二段階の徴候は、
ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。
この不感無覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。
なぜなら、収容所ではとにかくよく殴られたからだ。
まるで理由にならないことで、あるいはまったく理由もなく。

 第二段階の主な徴候である感情の消滅は、
精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだった。
現実はすっかり遮断された。
すべての努力、そしてそれにともなうすべての感情生活は、
たったひとつの課題に集中した。
つまり、ただひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の生命を維持することに。
それで、夕方、作業現場から収容所にもどってきた仲間たちが、
あの深ぶかとしたため息とともにこう言うのを、
耳にたこができるほど聞くことにもなったのだ。
「やれやれ、また一日が終わったか」

 このような精神的に追いつめられた状態で、
露骨に生命の維持に集中せざるをえないというストレスのもとにあっては、
精神生活全般が幼稚なレベルに落ちこむのも無理はないだろう。
被収容者仲間のうち、精神分析に関心のある同業者たちのあいだでは、
収容所における人間の「退行」、
つまり精神生活が幼児並みになってしまうことがよく話題になっていた。
この願望や野心の幼児性は、被収容者の典型的な夢にはっきりとあらわれた。
 被収容者がよくみる夢とは、いったいどんなものだったか。
被収容者はパンの、ケーキの、煙草の、気持ちのいい風呂の夢をみた。
もっとも素朴な欲求がみたされないので、素朴な願望夢がそれをみたしてくれたのだ。
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by totsutaki2 | 2012-12-21 23:27 | 心の使い方

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