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自省録

2012/11/13 フランクル回想録3 自己超越

【走った距離】  6.06km
【今月の累積距離】  97.71km
【天気】 晴れのち雨 
【気温】 最高 17℃、最低 11℃
【体重】  63.8kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
驚き、感動した。

ナチスの残虐行為がドイツ人の責任だとする考え方に反対し、
ドイツ人を擁護する。

自らは飢餓と過酷な労働で生死の淵を彷徨い、
収容所で父を失い、
母をアウシュヴィッツのガス室に送られ、
兄をアウシュヴィッツの鉱山で失い、
新婚の最愛の妻をやはり収容所で失った人間が、である。

松本サリン事件で自らは冤罪を問われ、
最愛の妻を意識が戻らない状態にされても、
加害者の一人である元オウム真理教信者の社会復帰を助けた
河野さんの本を読んだときと同じ感動。

まさに本当の人間。
怒り、恨みのような下等な心を人類愛、正義が克服している。
人類がみんな彼らのように心のコントロールができれば、
地上から一切の紛争はなくなるだろう。

一度私は---それは1946年のことだった---
フランス占領軍の司令官だった将車のいる前で
共同責任(例えば、ナチスの残虐行為はドイツ人全体の責任であるとする考え方)に
反対したことがある。
それはフランス占領地区でおこなわれた講演会の席上でのことであった。
次の日、かつてナチス親衛隊員であった大学教授が私を訪ねて来て、
目に涙を浮かべながら、よりにもよってなぜこの私か、
公の場で共同責任に反対するというような勇気を奮い起こす気持になったのかと聞いた。
「あなたならできません」私は答えた。
「あなたが口を開けば、自分の立場を守ることになるでしょう。
しかし私はかつての囚人119104番です。
だからこそ私には、それができるし、またそれをせねばならないのです。
そういう私の言うことならば人も信じるでしょう。
これはまさに義務なのです」。


以下は訳者(山田邦夫)による解説。

フランクルは、ナチズムのゆえにその後のドイツ人を非難することを否定する。
ユダヤ人だからというだけで強制収容所に送られた人間は、
ドイツ人だからというだけで、その人を非難する気にはなれないのである。
この彼の姿勢が、解放直後から一貫しているのは不思議なくらいである。
彼は、ドイツ人を非難するどころか、むしろ敢然と擁護しさえする。
ナチズムのゆえにドイツ人を非難することは、
個人を民族に還元することであり、
ナチズムの人種主義の轍を踏むことを意味する。
「まっとうなドイツ人は、まっとうなオーストリア人に
道徳的にすこしも劣っているわけではありません。
特定の国家の国民だという事実だけで、
その人を排斥してはならないのです」。
責任とは本質的に実存的なものである。
自己の責任を民族や遺伝や環境などに転嫁することは
みずからの実存を放棄することである。
フランクルは、 この責任と癒しの倫理によって
ナチズムに抵抗したと言いうるであろう。
2012/11/13 フランクル回想録3 自己超越_b0217643_23594154.jpg






by totsutaki2 | 2012-11-13 23:48 | 心の使い方

市民ランナーの市井の日常。 日々の出来事、感動を忘れないために
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