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自省録

2012/5/7 神曲3 煉獄篇


【コメント】
煉獄篇 Purgatorio

煉獄は、地獄を抜けた先の地表に聳える台形の山。
永遠に罰を受けつづける救いようのない地獄の住人と異なり、
煉獄においては、悔悟に達した者、悔悛の余地のある死者が
ここで罪を贖う。

煉獄山の構造
2012/5/7 神曲3 煉獄篇_b0217643_20281058.jpg


煉獄前域 - 煉獄山の麓。小カトがここに運ばれる死者を見張る。
第一の台地 破門者 - 教会から破門された者は、
  臨終において悔い改めても、煉獄山の最外部から贖罪の道に就く。
第二の台地 遅悔者 - 信仰を怠って生前の悔悟が遅く、
  臨終に際してようやく悔悟に達した者はここから登る。
ペテロの門 - 煉獄山の入口。
  それぞれに色の異なる三段の階段を上り、金と銀の鍵をもって扉を押し開く。
第一冠 高慢者 - 生前、高慢の性を持った者が
   重い石を背負い、腰を折り曲げる。
第二冠 嫉妬者 - 嫉妬に身を焦がした者が、
   瞼を縫い止められ、盲人のごとくなる。
第三冠 憤怒者 - 憤怒を悔悟した者が、
   朦朦たる煙の中で祈りを発する。
第四冠 怠惰者 - 怠惰に日々を過ごした者が、
   ひたすらこの冠を走り回り、煉獄山を周回する。
第五冠 貪欲者 - 生前欲深かった者が、
   五体を地に伏して嘆き悲しみ、欲望を消滅させる。
第六冠 暴食者 - 暴食に明け暮れた者が、
   決して口に入らぬ果実を前に食欲を節制する。
第七冠 愛欲者 - 不純な色欲に耽った者が
   互いに走りきたり、抱擁を交わして罪を悔い改める。
山頂 地上楽園 - 常春の楽園。煉獄で最も天国に近い所で、
   かつて人間が黄金時代に住んでいた場所という。

山頂でダンテは永遠の淑女ベアトリーチェと出会う。
ウェルギリウスはキリスト教以前に生れた異端者であるため
天国の案内者にはなれない。
そこでダンテはウェルギリウスと別れ、ベアトリーチェに導かれて天国へと昇天する。

第30歌 28-57

寿岳文章訳

天使たちの手からひらひらと投げあげられ、
再び車の内外に降りてきた花の雲に乗り、
清白の面紗の上にオリーヴァの冠をつけ、やごとなきひとりの淑女が、
私の眼の前にあらわれた、
緑の袖の下に、
 燃え立つ焔の色の衣召して。
すると私の精神は、そのひとの前に出ると、畏敬のあまり
 わなわなとふるえ、うち砕かれる経験から離れること、
 げに年久しいにもかかわらず、
いま、わが眼でもって直接にたしかめもしないのに、
 そのひとから放射される玄妙な功力により、
 昔と変らぬあの愛の、大きな力の衝撃をひしと感じた。
まだ少年の域から離れていない私を、すでに烈しくさしつ
 らぬいたあの高貴な力が、私の目に射こまれたその刹那、
物に怯え、または困りはてたとき、助けを求め走り寄り、
 母にすがりつくうないごのように、思わず私は左に顔向け、
ヴィルジリオに言おうとした。「ふるえわななかぬ血は、
 ひと雫だに今の私に残らず。げに私は知る、むかしの焔の形見を。」
しかしヴィルジリオは、既にわれらから身を隠してしまっていた、
 世にも慕わしい父ヴィルジリオは、私がおのれの救いのため、
 私のすべてを委ねていたヴィルジリオは。
また、われらの始祖なる母が失ったこの楽園の全風光も、
 露に洗われた私の両頬の、涙で再び黒ずむのを禁めえなかった。
「ダンテよ、ヴィルジリオがいなくなったからとて、
 まだしばらくは泣くな、まだしばらくは泣くな、
 やがてほかの剣ゆえに泣かねばなりませぬぞ!」


山川丙三郎訳

天使の手より立昇りてふたゝび内外に降れる花の雲の中に 
 白き面おほひの上には橄欖を卷き、
 縁の表衣の下には燃ゆる焔の色の衣を着たるひとりの淑女あらはれぬ 
わが靈は目の能くこれに教ふるをまたず、たゞ彼よりいづる奇くしき力によりて、
 昔の愛がその大いなる作用を起すを覺えき 
わが童の時過ぎざるさきに我を刺し貫けるたふとき力わが目を射るや 
 我はあたかも物に恐れまたは苦しめらるゝとき、走りてその母にすがる
 稚兒の如き心をもて、たゞちに左にむかひ 
一滴だに震ひ動かずしてわが身に殘る血はあらじ、
 昔の焔の名殘をば我今知るとヴィルジリオにいはんとせしに 
ヴィルジリオ、いとなつかしき父のヴィルジリオ、
 わが救ひのためにわが身を委ねしヴィルジリオははや我等を棄去れり 
昔の母の失へるすべてのものも、露に淨められし頬をして、
 涙にふたゝび汚れしめざるあたはざりき 
ダンテよ、ヴィルジリオ去れりとて今泣くなかれ今泣くなかれ、
 それよりほかの劒に刺されて汝泣かざるをえざればなり。


戦車の上からきびしくダンテに語りかけるベアトリーチェ(第三十歌)

ダンテは既にレーテを渡り了え、
悄然とした姿勢で画面の右下隅に立っているから、
この挿絵は、第二十九・三十歌にかかわるとの説明を、
ブレイクが画面の据に書きしるしていなければ、
第三十一歌130-145行にこそふさわしいと誰しも思う。
まことに着彩まばゆいばかりのこの一枚ほど、ダンテのイメージを核としながら、
ブレイク自身の世界観や芸術論を強烈に放射させている例は、
かれの神曲全挿絵を通じてほかに求められない。
限られた紙幅での解説は到底不可能である。
第十六図と同様、主要な人と物とを摘出し、原曲と挿絵の異同に触れつつ、
ダンテならびにブレイク理解への索引としておこう。
三つ巴に異様な顔や眼が見える渦巻く右の車輪(原曲と違う)と、
凱旋戦車を曳くグリフォンを画面の前景に大きく据えた構図。
画面を上に突きぬくグリフォンの両翼が、随所に遮断しているのは七彩の光の旗。
戦車の四隅には、眼だらけの翼を持ち、光背もある異形の四獣の頭が見える。
車輪の上、四獣を前後にひかえ、蓮の花(原曲には無い)模様で縁ど りした台に、
光まばゆくベアトリーチエが立つ(その冠は原曲と違う)。
「右側の車輪のあたりを、円舞にうち興じ」(第二十九歌121行)て進む、
とダンテがしるした三淑女のうち、
右手をダンテに向けてベアトリーチェをふり仰ぐ先頭の一人の左手の指は、
ひろげられたまま浮揚する書冊の一箇所をさしているが、
これも全く原曲には無い。無いのも当然。
この淑女こそ、ロスの堕落した流出、エニサーモンなのだから。
2012/5/7 神曲3 煉獄篇_b0217643_20273158.jpg




by totsutaki2 | 2012-05-07 20:19 | 読書

市民ランナーの市井の日常。 日々の出来事、感動を忘れないために
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