自省録

2012/1/9 氷川清話6

【走った距離】  19.64km
【今月の累積距離】  119.09km
【ペース】 平均 6'24"/km、 最高 5'23"/km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 10℃、最低 4℃
【体重】  65.9kg
【コース】
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【コメント】
ランニング中に
「新春走ろうかい」ひらかたハーフマラソンに出ている知人を応​援。
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特別ゲスト 間 寛平さん
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氷川清話の紹介(今回が最終)

何度も死線を潜り抜ける。
いつも明鏡止水。動揺しない。

死生一髪の際

 おれは独りで、西郷めがこの機に乗じて、
天兵を差し向けはしないかと心配して居たところが、果してやって来たワイ。
西郷は実にえらい奴だ。
 当時人心恟々として、おれは常に一身を死生一髪といふ際に置いて居た。
おれの真意が官軍にわからなくって、官兵がおれの家を取り囲んだこともあった。
また、幕臣中でも剽悍なものは、やゝもすると、おれを徳川氏を売るものと見倣して、
おれを殺さうとしたものも人や二人ではなかった。
おれが品川の先鋒総督府と談判して帰りがけにも、薄暮、赤羽根橋を通って居たら、
鉄砲丸がおれの鬢を掠めていったから、おれは馬を下り、轡をとりて徐かにそこを過ぎ、
四辻から再び馬に乗って帰ったツケ。
また歩兵が脱走を企てた時には、おれはしばしば馳せ行きて、
これを鎮撫して居つたが、ある時も、今日の九段招魂社のあたりで、
説諭を加へて居るうちに、弾丸がおれの提燈を貫き、
引続いてまた、おれの馬の前に立って居た一卒を倒したこともあったョ。
この時には、おれは目前に佐藤継信を見たョ。


徳川よりも日本。


いはゆる国家主義

 自分の手柄を陳べるやうでをかしいが、おれが政権を奉還して、
江戸城を引払ふやうに主張したのは、いはゆる国家主義から割り出したものサ。
三百年来の根底があるからといったところが、時勢が許さなかったらどうなるものか。
かつまた都府といふものは、天下の共有物であって、決して一個人の私有物ではない。
江戸城引払ひの事については、おれにこの論拠かあるものだから、
誰が何と言ったって少しも構はなかっだのサ。
各藩の佐幕論者も、初めは一向時勢も何も考へずに、無暗に騒ぎまはったが、
後には追々おれの精神を呑み込んで、おれに同意を表するものも出来、
また江戸城引渡しに骨を折るものも現れて来たヨ。
しかしこの佐幕論者とても、その精神は実に犯すべからざる武士道から出たのであるから、
申し分もない立派のものサ。
何でも時勢を洞察して、機先を制することも必要だが、それよりも、人は精神が第一だヨ。


豪傑は10年の逆境を辛抱する。

人間の相場

 おれなどは、生来人がわるいから、ちゃんと世間の相場を踏んで居るヨ。
上った相場も、いつか下る時があるし、下った相場も、いつかは上る時があるものサ。
その上り下りの時間も、長くて十年はかからないョ。
それだから、自分の相場が下落しかと見たら、
じっと屈んで居れば、しばらくすると、また上って来るものだ。
大奸物大逆人の勝麟太郎も、今では伯爵勝安芳様だからノー。
しかし、今はこの通り威張って居ても、また、しばらくすると耄碌してしまって、
唾の一つもはきかけてくれる人もないやうになるだらうョ。
世間の相場は、まあこんなものサ。
その上り下り十年間の辛抱が出来る人は、すなはち大豪傑だ。おれなども現にその一人だョ。
 おれはずるい奴だらう。横着だらう。
しかしさう急いでも仕方がないから、寝ころんで待つが第一サ。
西洋人などの辛抱強くて気長いには感心するョ。
 今の世に西郷南洲が生きて居たら、談し相手もあるに、
  南洲の 後家と話すや 夢のあと
 今の人は、この句の意を知るまいョ。


明鏡止水の境地は修行の成果。

本当に修業したのは剣術

 本当に修業したのは、剣術ばかりだ。
全体、おれの家が剣術の家筋だから、おれの親父も、
骨折って修業させうと思って、当時剣術の指南をして居た島田虎之肋といふ人に就けた。
この人は世間なみの撃剣家とは違ふところがあって、
始終、「今時みながやり居る剣術は、かたばかりだ。
せっかくの事に、足下は真正の剣術をやりなさい」といって居た。
それからは島田の塾へ寄宿して、自分で薪水の労を取って修業した。
寒中になると、島田の指図に従うて、
毎日稽古がすむと、夕方から稽古衣一枚で、王子権現に行って夜稽古をした。
いつもまづ拝殿の礎石に腰をかけて、
瞑目沈思、心胆を練磨し、
しかる後、起って木剣を振りまはし、
更にまた元の礎石に腰を掛けて心胆を錬磨し、
また起って木剣を振りまはし、
かういふ風に夜明まで五、六回もやって、それから帰って直ぐに朝稽古をやり、
夕方になると、また王子権現へ出掛けて、一日も怠らなかった。
 初めは深更にただ一人、樹木が森々と茂って居る社内にあるのだから、
なんとなく心が臆して、風の音が凄じく聞え、覚えず身の毛が竪って、
今にも大木が頭の上に仆れかゝるやうに思はれたが、
修業の積むに従うて、次第に慣れて来て、
後にはかへって寂しい中に趣きがあるやうに思はれた。
時々は同門生が二、三人はくることもあったが、寒さと眠さとに辟易して、
いつも半途から、近傍の百姓家を叩き起して、寝るのが常だった。
しかしおれは、馬鹿正直にもそんな事は一度もしなかったヨ。
修業の効は瓦解の前後に顕れて、
あんな艱難辛苦に堪へ得て、少しもひるまなかった。

 ほんにこの時分には、寒中足袋もはかず、袷一枚で平気だったヨ。
暑さ寒さなどいふことは、どんな事やら殆んど知らなかった。
ほんに身体は、鉄同様だった。
今にこの年になって、身体も達者で、足下も確かに、根気も丈夫なのは、
全くこの時の修業の余慶だヨ。


心をコントロール。

人間長寿の法

 人間長寿の法といふもほかにはない。
俗物には、飲食を摂して、適度の運動を務めなさいと言へば、
それでよいが、しかし大人物にはさうはいかない。
見なさい、おれなどは何程寒くっても、こんな薄っぺらな着物を着て、
こんな煎餅のやうな蒲団の上に座って居るばかりで、
別段運動といふことをするわけでもないが、それでも気血はちゃんと規則正しく循環して、
若い者も及ばないほど達よう者ではないか。
さあこゝがいはゆる思慮の転換法といふもので、すなはち養生の第一義である。
つまり綽々たる余裕を存して、物事に執着せず拘泥せず、
円転豁達の妙境に入りさへすれば、
運動も食物もあったものではないのさ。


明治の気骨を叱る。

意気地のあるなし

 今の奴らは、あまり柔弱でいけない。
冬が来ればやれ避寒だとか、夏が来ればやれ避暑だとか騒ぎまはるか、
まだ若いのに贅沢過ぎるヨ。
昔にはこのくらゐの暑さや寒さに辟易するやうな人間は居なかったヨ。
そんな意気地なしが何で国事改良など出来るか。
 昔の人は根気が強くて確かであった。
免職などが怖くてびくびくするやうな奴は居なかった。
その代り、もし免職の理由が不面目のことであったら、潔く割腹して罪を謝する。
決して今の奴のやうに洒蛙々々としては居ない。
もしまた自分のやり方がよいと信じたなら、免職せられた後までも十分責任を負ぶ。
後は野となれ山となれ主義のものは居なかった。
またその根気の強いことゝいったら、日蓮や頼朝や秀吉を見ても分かる。
彼らはどうしても弱らない。
どんな難局をでも切りぬける。
しかるに今の奴らはその根気の弱いこと、その魂のすわらぬこと、実に驚き入るばかりだ。
しかもその癖、いや君国のためとか何のためとか、太平楽を並べて居るが、
あれはただ口先ばかりだ


自らが至らぬを他人のせいにしてはいけない。

人材は製造できない

 全体、政治の善悪は、みんな人に在るので、決して法にあるのではない。
それから人物が出なければ、世の中は到底治まらない。
しかし人物は、勝手に拵へうといっでも、それはいけない。
世間では、よく人材養成などといって居るが、
神武天皇以来、果して誰が英雄を拵へ上げたか。
誰が豪傑を作り出したか。
人材といふものが、さう勝手に製造せられるものなら造作はないが、
世の中の事は、さうはいかない。
人物になると、ならないのとは、畢竟自己の修養いかんにあるのだ。
決して他人の世話によるものではない。

試みに野菜を植ゑて見なさい。
それは肥をすれば、一尺ぐらいずつは揃って生長する。
しかしながら、それ以上に生長させることは、
いくら肥をしたって駄目だ。
つまり野菜は、野菜だけしか生長することが出来ないのさ。
文部省がやる仕事も、たいてい功能は知れて居る。
 近頃或る若いものがやって来て
「私は財産もなし、門地も賤しいから、自分独りで豪傑のつもりになって居ります」
といふから、おれは感心して、
『そのつもりで十年もやれ』
といって励ましておいたよ


本当の肝胆相照らす。

大権力・人責任・大決断

 誰でも責任をおはせられなければ、仕事の出来るものではない。
おれが維新の際に、江戸城引渡しの談判をしたのも、
つまり将軍家から至大の権力を与へられ、無限の責任を負はせられたので、
思ふ存分手腕を振ふことが出来たから、あの通り事もなく済んだのだ。
それに官軍の参謀は、例の老西郷であったから、
ちやんとおれの腹を見ぬいて居てくれたので、大きによかった。
 全体、これは別の話だが、
「敵に味方あり味方に敵あり」といって、互に腹を知りあった日には、
敵味方の区別はないので、いはゆる肝胆相照らすとはつまりこのことだ。
 明治十年の役の時に、岩倉公が、三条公の旨を受けて、おれに
「西郷がこの度鹿児島で兵を挙げたについては、
お前急いで鹿児島へ下向し、西郷に説諭して、早く兵乱を鎮めて来い」
といはれた。
そこで、おれは、
『当路の人さへ大決断をなさるなら、私はすぐに鹿児島へ行って、
十分使命を果たして御覧に入れませう』
といったら、岩倉公は「お前の大決断といふのは、
大方大久保と木戸とを免職しろといふことであらう」といはれたから、
おれは
『いかにも左様で御座る』
といったら、
「それは難題だ。大久保と木戸とは、国家の柱石だから、
この二人は、どうしても免職することが出来ない」
といはれたので
『それではせっかくの御命令であるけれども、とてもお受けを致すことが出来ない』
といって、おれは断ってしまった。
 ところが後で聞けば、この時鹿児島では、桐野が
「旗挙げのことが政府へ知れたら、今に勝麟が誰かの宗旨を受けて、やって来るであらう」
と西郷に話したら、西郷は
「馬鹿をいへ、勝が出掛けてくるものか」
といって笑ったさうだ。
どうだ、西郷はこの通りちやんとおれの胸を見ぬいて居たのだ。
もはや二十年の昔話ではあるけれど、
これらがいはゆる真正の肝胆相照らすといふことの好適例だ


西郷の人物を知るには、西郷くらゐな人物でなくてはいけない。

こぶんの無い方が善い

 何でも人間は乾児(こぶん)のない方が善いのだ。
見なさい。西郷も乾児のために骨を秋風に曝したではないか。
おれの目で見ると、大隅も板垣も始終自分の定見をやり通すことが出来ないで、
乾児に担ぎ上げられて、殆んど身勣きも出来ないではないか。
およそ天下に乾児のないものは、恐らくこの勝安芳一人だらうよ。
それだから、おれは、起きようが寝ようが、喋らうが、黙らうが、自由自在気随気儘だよ。
 李鴻章や何やと大きな奴があるんで困るが、兎も角も、
伊藤さんは、日本ではエライが、しかし、侯爵様だけれども、
西郷なんどが生きて居たら、だいぶ笑ったであらうよ。
西郷だって正雪だって、自分の仕事が成就せぬといふことは、ちゃんと知って居たのだヨ。
おれも天保前後にずいぶん正雪のやうな人物に出遇ったが、
この消息は、俗骨には分らない。
つまり彼らには自然に権力が付き纏うて来るので、
何とかしなくては堪へられないやうになるのだ。
 しかし西郷は、正雪のやうには賢くない。
ただ感情が激しいので、三千の子弟の血管を湧した以上は、
自分独り華族様などになって済まし込むことが出来なかったのだ。
それを、小刀細工の勤王論などでもって攻撃するのは野暮の骨頂だ。
賢くないとはいふものの、勤王論ぐらゐは西郷も知って居る。
だから戦争中も自分では一度も号令を掛けなかったといふではないか。
おれは、前からそれを察して居たから、あの時岩倉さんが聞きに来だのに、
大丈夫だ、西郷は決して野心などはない、
と受け合ったり、また佐野などにも西郷の心事をくはしく説明してやったが、
そのために一時にとんでもない疑ひを受けたこともあった。
しかし何にしてもあれはどな人物を、弟子のために情死させたのは、惜しいものだ。
部下にも桐野とか、村田とかいふのは、なかなか俊才であった。
西郷も、もしあの弟子がなかったら、あんな事はあるまいに、
おれなどは弟子がないから、この通り今まで生き延びて華族様になつて居るのだが、
もしこれでも、西郷のやうに弟子が大勢あつたら、独りでよい顔もして居られないから、
何とかしてやつたであらう。
しかし、おれは西郷のやうに、これと情死するだけの親切はないから、
何か別の手段を取るヨ。
とにかく西郷の人物を知るには、西郷くらゐな人物でなくてはいけない。
俗物には到底分らない。
あれは、政治家やお役人ではなくて、一個の高士だものを。



胆力の修養。

丸腰で刺客に応対

 今とは違って、昔は世の中は物騒で、
坂本も広沢も斬られてしまひ、おれもしばしば危いめにあった、
けれどもおれは、常に丸腰でもって刺客に応対した。
ある時長刀を二本差して来た奴があるので、おれは、
『お前の刀は抜くと天井につかへるぞ』
といってやったら、その奴は直ぐ帰ってしまった事があった。
またある時は既に刀を抜きかけた奴もあったが、そんな時にはおれは、
『斬るなら見事に斬れ。勝は大人しくして居てやる』
といふと、たいていな奴は向ふから止めてしまふ。
かういふ風におれは一度も逃げもしないで、たうとう斬られずに済んだ。
人間は胆力の修養がどうしても肝腎だヨ。
天下は、大活物だ。
区々たる没学問や、小智識では、とても治めて行くことは出来ない。
世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、
人情の微を究めて、しかる後、共に経世の要務を談ずることが出来るのだ。

小学問や、小智識を鼻に掛けるやうな天狗先生は、仕方がない。
それゆゑに、後進の書生らは、机上の学問ばかりに凝らず、
更に人間万事に就いて学ぶ、その中に存する一種のいふべからざる妙味を噛みしめて、
しがる後に、机上の学問を活用する方法を考へ、
また一方には、心胆を錬って、確乎不抜の大節を立てるやうに心掛けるがよい。
かくしてこそ、初めて十年の難局に処して、誤らないだけの人物となれるのだ。
 かへすがえすも後進の書生に望むのは、
奮ってその身を世間の風浪に投じて、
浮ぶか沈むか、生きるか死ぬるかのところまで冰いで見ることだ。
この試験に落第するやうなものは、到底仕方がないサ。


至誠をもって説く。

 西郷の力と大久保の功

 この東京が何事もなく、百万の市民が殺されもせずに済んだのは実に西郷の力で、
その後を引受けて、この通り繁昌する基を開いたのは、実に大久保の功だ。
それゆゑにこの二人のことをわれわれは決して忘れてはならない。
 あの時、おれはこの罪もない百万の生霊を如何せうかといふことに、
一番苦心したのだが、しかしもはやかうなっては仕方がない。
ただ至誠をもって利害を官軍に説くばかりだ。
官軍がもしそれを聴いてくれねば、それは官軍が悪いので、
おれの方には少しも曲ったところがないのだから、
その場合には、花々しく最後の一戦をやるばかりだと、かう決心した。



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by totsutaki2 | 2012-01-09 14:34 | 読書

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