自省録

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2013/6/30 ルートヴィヒ/[完全復元版]

【走った距離】  22.68km
【今月の累積距離】  307.73km
【ペース】 平均 6'07"/km、 最高 5'40"/km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 30℃、最低 25℃
【体重】  63.8kg
【コース】
自宅~会社~淀
【コメント】
ルキーノ・ヴィスコンティ監督作品。
ドイツ バイエルン地方ヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ2世と
同じくヴィッテルスバッハ家の一族であるオーストリア皇后エリーザベトの物語。
全4時間の大作。
学生時代に見た時は時代背景も登場人物もわからず閉口したが、
今回は余裕を持って味わえた。
マーラーの第5番 第4楽章が「ヴェニスに死す」の基調を表していたように、
「ルートヴィヒ」ではリヒャルト・ワーグナー 「ローエングリン」の「第一幕への前奏曲」、
「タンホイザー」の「夕星の歌」、
ロベルト・シューマン「組曲 子供の情景」の「見知らぬ国から」が映画のモチーフを表す。
映像も夜や暗い室内のシーンが多いが、カラヴァッジオの絵のようなインパクトがある。
役者はエリーザベト (オーストリア皇后)役のロミー・シュナイダーの存在感が強烈。
清楚なエリーザベトのイメージを塗り替えた。

登場人物はすべてドイツ人、オーストリア人なのにイタリア語で話しているのに
違和感があった。
ミュンヘンもイタリア語でモナコ。

TSUTAYAになかったので枚方図書館で借りた。
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この映画を見た動機は、ミュンヘンの宮殿の主についてイメージを掴みたかったから。
ルートヴィヒ2世の生まれたニンフェンブルク城
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ルートヴィヒ2世の戴冠したレジデンツ
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エリーザベトの住んだウィーン ホーフブルク宮殿
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by totsutaki2 | 2013-06-30 20:33 | 映画

2013/6/29 「オペラ座の怪人(映画)」 DVD

【走った距離】  5.91km
【今月の累積距離】  285.05km
【ペース】 平均 5'53"/km、 最高 5'29"/km
【天気】 快晴 
【気温】 最高 29℃、最低 24℃
【体重】  65.0kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
25周年のミュージカルDVDがよかったので映画の「オペラ座の怪人」をDVDで鑑賞。
映画館で観たときは余り感動がなかったのだが、今回も同じ印象。
25周年のミュージカルの方が良い。
オークションの場面から劇場がよみがえる画面は見事だし
クリスティーヌ役のエミー・ロッサムも好演しているが、
ストーリーが散漫。
Pass the point of no returnと歌いながらも悲劇的終局への緊迫感がない。

映画ではファントムをジェラルド・バトラー、
クリスティーヌをエミー・ロッサムが演じていたが
英語のWikiを見ると、
昨年の映画の「レ・ミゼラブル」で
ジャン・バルジャンとファンティーヌを演じたヒュー・ジャックマンとアン・ハサウェイが
ファントムとクリスティーヌを演じる予定だったらしい。
スケジュールの関係で実現できなかったが、こちらも観たかった。
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by totsutaki2 | 2013-06-29 19:34 | 映画

2013/6/28 54年8か月6日5時間32分20秒3

【走った距離】  6.26km
【今月の累積距離】  279.14km
【ペース】 平均 6'17"/km、 最高 5'30"/km
【天気】 くもり
【気温】 最高 28℃、最低 22℃
【体重】  64.7kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
金栗 四三(1891年8月20日 - 1983年11月13日)は、
日本初のオリンピックマラソン選手。
国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも、
1912年のストックホルムオリンピックではでは熱中症で倒れ、
「競技中に失踪し行方不明」という扱いにされた。
40℃という記録的な暑さだった。
コース近くの農家で介抱され、目を覚ましたのは、競技の翌朝であった。

日本の期待を一心に背負いながら走りきれなかったことで、
深い自責の念に駆られたが、日本のマラソンの発展のために50年間尽くした。

1967年、ストックホルムオリンピック委員会から
「オリンピック55年祭」が開催されるので
来てもらえないかという連絡が届いた。

そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに
足を踏み入れた。

何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。
思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った。

『日本の金栗がただ今ゴール。
 タイムは54年8か月6日5時間32分20秒3…。
                 
これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』
54年8か月6日5時間32分20秒3という記録は
オリンピック史上最も遅いマラソン記録である。
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by totsutaki2 | 2013-06-28 22:48 | ランニング

2013/6/27 神戸マラソン落選


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    ■ 第3回神戸マラソン 抽選結果(落選)のお知らせ ■

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このたびは「第3回神戸マラソン」にお申し込みいただき、誠にありがとうご
ざいました。
2013年4月22日から5月20日までお申し込み受付を行ったところ、定員を超える
お申し込みがあり、厳正なる抽選の結果、誠に残念ながら、貴方様におかれま
しては、ご意向に沿えない結果となりましたことをお知らせいたします。



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by totsutaki2 | 2013-06-28 05:49 | ランニング

2013/6/27 ダライ・ラマのフェイスブック3

【走った距離】  6.06km
【今月の累積距離】  272.88km
【ペース】 平均 6'00"/km、 最高 5'18"/km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 26℃、最低 22℃
【体重】  64.8kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
We need to understand the inadequacy of an educational system so slanted towards material values. The solution is not to give an occasional lecture, but to integrate ethics into the educational curriculum. To do this effectively requires a secular ethics, free of religious influence, based on common sense, a realistic view and scientific findings.

教育のシステムが物的価値に偏っているのは不適切であると理解しないといけない。この問題を解決するには倫理の講義を時々行うのでは不十分で、倫理を教育カリキュラムの中に組み込む必要がある。このアプローチを効果的に行うには、現世的な倫理、宗教色のない影響力、常識に基づく判断、現実的視点、そして科学的な結論が必要である。
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by totsutaki2 | 2013-06-28 00:13 | 心の使い方

2013/6/26 ダライ・ラマのツイッター44

【走った距離】  5.96km
【今月の累積距離】  266.82km
【ペース】 平均 6'08"/km、 最高 5'44"/km
【天気】 雨 
【気温】 最高 23℃、最低 21℃
【体重】  64.8kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
It is expressions of affection rather than money and power that attract real friends.
お金や権力ではなく、愛情を示すことで、本当の友人を惹きつけることができる。

If we make consistent effort, based on proper education, we can change the world.
適切な教育に基づいた、不断の努力をすれば、我々は世界を変えることができる。

Human happiness depends on taking others into account.
人間の幸せは、他人の幸せを慮ることができるかどうかで決まる。

I feel that each of us has the potential to make some contribution and together, working with a clear aim, we can change our world.
我々一人一人には何らかの貢献をする力があり、明確な目標があれば我々は世界を変えることができると感じる。

We naturally have self-interest but it should be wise rather than foolish self-interest by taking others needs into account as well as ours.
我々は生まれつき利己心を持っている。しかしそれは愚かな利己心ではなく、賢明な利己心でなければならない。賢明な利己心は他人の要望を自分の要望と同じように慮ることによって得られる。
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by totsutaki2 | 2013-06-26 23:47 | 心の使い方

2013/6/25 コンビニ弁当

【走った距離】  6.08km
【今月の累積距離】  260.86km
【ペース】 平均 5'59"/km、 最高 5'17"/km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 28℃、最低 22℃
【体重】  64.8kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
休日出勤の昼食はローソンのコンビニ弁当。

先週は「紀州ええ塩梅ごっつぉさん弁当」。
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昆布とかつお節のだし御飯(具のない炊き込みご飯)がおいしかった。
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by totsutaki2 | 2013-06-25 23:13 | 料理

2013/6/24 枚方凍氷

【走った距離】  6.04km
【今月の累積距離】  254.78km
【ペース】 平均 6'07"/km、 最高 5'55"/km
【天気】 くもり 
【気温】 最高 28℃、最低 22℃
【体重】  64.7kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
昨日 ランニングの後、今年初めて枚方凍氷に行った。

今年の最初はいつものようにイチゴ。
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氷を削る機械が新しくなっていた。
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去年との違いは、
・メニューの黒板がなくなったこと。
・限定ラッキーメニューがなくなったこと。
・バイトの女の子がいなくなったこと。
・綿菓子のようなふわふわのかき氷が、普通のかき氷に変わったこと。
・量が減ったこと。
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氷の質が変わったことは「こっちの方がいい人もおる」とおばちゃんも認めていた。
電気料金値上げで氷屋も苦しいのだろうか?
並んでまで食べる値打ちがなくなって少しさみしい。
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by totsutaki2 | 2013-06-24 23:11

2013/6/23 ジャン・ポール・サルトル 嘔吐9 悟り

【走った距離】  22.41km
【今月の累積距離】  248.74km
【ペース】 平均 6'19"/km、 最高 5'35"/km
【天気】 曇り時々雨 
【気温】 最高 25℃、最低 23℃
【体重】  64.7kg
【コース】
鳥飼大橋~枚方大橋
【コメント】
サルトルの嘔吐は今日で終了。
実存に気づいてから悟りに至るまでの過程を、
淡々と、しかし鮮やかに描く。
紙屑、電車、マロニエなどの描写も見事。
「カラマーゾフ兄弟」以来最も引き込まれた一冊。

この瞬間は異常なものだった。
私はそこにいて身動きせず、凍りついたようにじっとして、怖ろしい法悦に浸っていた。
しかしこの法悦のさ中において、なにか新しいものがいましがた現われた。
私は〈吐き気〉を理解し、それに精通したのだ。
じつを言えば、私は自分の発見したものを、言葉に直したのではなかった。
しかしいまとなっては、言葉にすることは容易だろうと思う。
肝要なこと、それは偶然性である。
定義を下せば、実存とは必然ではないという意味でもある。
実存するとは、ただ単に〈そこに在る〉ということである。
実存するものは出現し、偶然の〈出会〉に任せるが、
実存するものを〈演繹する)ことは絶対にできない。
これを理解した人はいると思う。
ただ彼らは、必然的にして自己原因なる存在物を考えだし、
この偶然性を乗り越えようと試みた。
ところで、いかなる必然的存在も実存を説明することはできない。
偶然性とは消去し得る見せかけや仮象ではない。
それは絶対的なものであり、それ故に完全な無償なのである。
すべてが無償である、この公園も、この町も、そして私自身も。
もしもこのことを理解するに到るならば、それは人びとの気持をむかつかせ、
すべてが、いつかの晩の「鉄道員さんたちの店」におけるように漂いはじめる。
それが〈吐き気〉なのだ。
それが〈ろくでなし〉―緑が丘の住人とかまた別の者たち―が、
権利の概念を振り廻して隠そうと試みたものである。
しかしなんと哀れな虚言だろうか。
だれにも権利はないのである。
奴らも他の人びとと同様に完全に無償であり、
自分が余計なものであることを感じないわけにはゆかない。
彼らは彼ら自身の裡においてひそかに、〈余計なもの〉なのである。
すなわち、無気力で曖昧で陰気なのである。

あの魅入られた状態はどれほど続いたか、私はマロニエの樹の根で〈あった〉。
あるいはむしろ、完全に、根の実存についての意識だった。
とはいえ、やはりその意識からは解放されていたが
―なぜならそれについての意識を持っていたから―
それでも意識の中にまぎれこみ、意識以外のなにものでもなかった。
居心地の悪い意識。
けれども、突出しているあの自動力のない木片へと、
からだの重さごと引かれてゆくままになっていた意識。
時の流れが止まった。
足元にてきた小さな黒い水溜り。
この瞬間〈以後に〉なにかか起きることは不可能たった。
私はこの怖ろしい悦楽から自分を引離そうと思ったが、
それができるなどとは想像さえつかなかった。
私はとらわれていたのである。
黒い根は〈通過しなかった〉。
それは、切れはしが大きすぎて喉につかえるように、私の眼の中に残っていた。
それを呑みこむことも、叶ぎだすこともできなかった。
いかばかりの努力を払って私は眼を挙げたか。
いや、ほんとうに眼を挙げたのか、むしろつぎの瞬間に顔をのけぞらせ
眼を空にむけて生れ変るために、一瞬の間消え失せたのではなかったか。
だがじっさいにおいて、私は移行の意識を持たなかった。
ただ、たちまち私には、樹の根の実存を考えることが不可能になった。
その実存がかき消えた。
私は無益にも呟いた、それは実存する、それはやっぱりそこにある、
私の右足すれすれにベンチの下にある、と。
だがこの言葉にはもはやなんの意味もなかった。
実存とは遠くから考えられるなにかではない。
それは人をふいに襲い、人の上で止まり、
肥った動かないけだもののように人の心にのしかかる
―さもなければ、もはやなにひとつない、というものでなければならぬ。

もはやなにひとつなかった。
私の眼は虚ろになり、解放されたことに大いに満足した。
それからたちまちそれが私の眼前で動きだした。
軽快な不確かな運動である。
風が樹の梢を揺らしたのだった。

なにか動くものを見るというのは不快なことではなかった。
それは、凝視する眼ざしのように私を眺めていた、
身じろぎしないこれらすべての実存から、私を解放した。
枝々の揺れを眼で追いながら私は思った、
運動というものはまったく絶対に実存しない、
それは移行であり、ふたつの実存の間の中間のものであり、弱拍である、と。
実存が無から出、徐々に成熟し、花咲くのを見ようと私は待ち構えていた、
かくてついに、生れつつある実存の不意を襲うことができると思って。

こうした私のすべての希望が一掃されるには、三秒とはかからなかった。
周囲を盲人のように撫でていた、ためらい勝ちな枝の上に、
実存への〈移行〉をとらえることはできなかった。
移行という考えもやはり人間の考案したものであり、あまりにも明確な概念である。
これらのかすかなすべての動きは孤立し、動きとして確立していた。
これらの動きは、四方八方で枝や小枝からはみだし、
それらのかさかさした手の周りで渦を巻き、小さな旋風で手を包んでいた。
もちろん、運動は樹とは別のものだった。
しかし運動はやはり絶対的なものであり、物である。
私の眼は絶対に充実したものにしか出会わなかった。
枝の尖端で実存がひしめいていた。
その存在はたえず更新されるだけで、決して新しく生れではしなかった。
実存する風が、大きな蝿のように樹の上にきてとまった。
すると樹が揺れだした。
しかしこの揺れは、新しく生れた性質でも、可能態から現実態への移行でもなく、
物そのものだった。
〈揺れる―もの〉が樹の中に紛れ込み、樹を奪い、樹を揺らし、
それからふいに樹を放棄すると、遠くへ行って、くるくると廻った。
すべてが充実し、すべてが現実態の中にあって、弱拍はなかった。
すべてが、いちばん微細な跳躍さえもが実存によって作られていた。
そして樹の周囲を忙しく立ち廻っていたこれらの実存するものは、
どこからきたのでも、どこへ行くのてもなかった。
たちまちそれらのものが実存し、それから、同じくたちまち実存しなくなった。
実存とは記億のないもの、行方不明者であり、なにひとつ―思い出さえも止めておかない。
到るところにあり、際限もなく、余計なもので、つねにどこにでもいる実存、
それは―実存によってしか限定されない。
はじまりのない存在物のこれらの豊かさに茫然自失しうんざりして、
私はベンチに崩折れた。
到るところ、孵化と開花かあり、私の両耳には実存ががんがん響き、
私の肉体そのものがぴくぴく動いて半ば口を開け、宇宙的な発芽に身を任せていた。
それは嫌悪すべきものだった。
「けれどもなぜ、こんなにたくさんの実存があるのか、
それはみんな互に似ているからだろうか」と私は考えた、
みな似たような樹がこれほどたくさんあることが、なんの役に立つのか。
たくさんの実存は失敗し、執拗にも再びやり直し、またもや失敗する
―あたかも仰向けに倒れた昆虫の不器用な努力のように
(私もまたそうした努力のひとつだった)。
この豊かさば、寛大の 結果ではなく、その逆だった。
この豊かさは、陰気で虚弱な感じがし、自分を持てあましていた。
これらの街々、その不器用な大きなからだ……。
私は笑いだした、
なぜなら書物の中に描かれている、軋る音や破裂や巨大な開花に充満した
途方もない春の描写を突然思いだしたからである。
権力への意志とか生存競争とかについて語った馬鹿者たちがいた。
いったい奴らは、一頭のけだものなり、一本の樹なりを眺めたことはなかったのか。
円形脱毛症に催って幹がまだらになっているあのすずかけの樹、
半ば腐っているあの樫、
それを空に突出する若い荒々しい力と見做させようとするのか。
ところでこの樹の根は。
恐らく私は、貪慾な爪が大地を裂き、そこから滋養物を奪い取る様を
想像すべきなのだろうか。

そのような具合にこれらの事物を見ることは不可能である。
柔軟で軟弱なもの、そうだ。
樹々は漂っていた。
空への突出というのか。
いやむしろそれは意気沮喪である。
-------
〈それらは実存したいという欲望を持っていなかった〉。
ただ実存するのをやめることができなかった、というだけである。
そこでそれらのものは、静かにやる気もなく、知る限りの小細工を弄した。
樹液は心ならずも脈管の中をゆっくりと遡り、樹の根はゆっくりと土につきささった。
けれどもたえずそれらは、すっかりそこに根を下ろしそうでもあり、
消えてしまいそうでもあった。
疲労し年老いてそれらは不機嫌に実存し続けた。
死ぬにはあまりにも弱く、死はそれらにとって、
外部からのみやってくることが可能であったからである。
内在的必然として、自分の裡に自分自身の死を誇らしく持っているものとしては、
音楽の調べしかない。
ただそれは実存しないのである。
実存するものはひとつ残らず理由なく生れ、弱さによって生き延び、
出会いによって死んで行く。
私は思わずうしろによりかかり瞼を閉じた。
しかし急をきいて直ちに駆けつけたさまざまな心像が跳びはね、
私の閉じた眼を実存をもって満たした。
実存とは、そこから人間が離れることのできない充実したものである。

不思議な心像。
それは一群の事物を表わしていた。
ほんとうの事物ではなく、本物に似た別の事物である。
椅子や木靴に似た木製品、植物に似た別の物。
それから、ふたつの顔が現われる。
それはいつかの日曜日、カフェ・レストランのヴェズリーズで食事をしていた、
私の近くにいた夫婦だった。
ふたりの顔は脂ぎって、暖かく、肉感的で、無意味で、火照った耳をしていた。
私は女の肩と胸とを思いだした。
それが裸の実存である。
そのふたつのもの、女の肩と胸―それがふいに私に嫌悪を催させた―
このふたつのものは、ブーヴィルのどこかで実存し続けていた。
それは、どこかで―どんな匂いに包まれてであろうか
―あの柔かい胸は新鮮な布に愛撫され、レースの中に縮まり続けていた。
女は、たえずその胸が胴着の中で実存することを感じ、
「あたしのおっぱい、新鮮な果物」とたえず考え、
そして擽ったい胸の歓喜を待ちながら、謎の微笑を浮べ続けていた。
それから私は大声を挙げた、そうして、眼を大きく見開いて我に返った。

あの巨大な現存を夢みたのか。
それは公園の上にのしかかり、街々の中に転落してそこにあった。
まったくぶよぶよであり、なんにでもべたつき、厚ぼったくてジャムのようだった。
ところで私は、公園全体とともにこの巨大な現存の中にいたのか、
私は怖ろしかった、いやそれ以上に腹が立った。
それが馬鹿馬鹿しく当をえないと思われた、けがらわしいこのマーマレードがいやになった。
だがそれが、なんとたくさんあったことか。
それは空の高さにまで昇った、
それは到るところに行き、あらゆるものを膠質の疲労困憊で満たした、
それはものすごく奥深かっと、途方もなく奥深かった、
それは公園の枠を越え、家々を越え、ブーヴィルを越える奥深さだった。
私はもはやブーヴィルにはいなかった、どこにもいなかった、私は漂っていた。
だがそのことに驚かなかった、それが〈世界〉であることをよく知っていたから、
赤裸々な〈世界〉は、かくて一挙に姿を現わした、
私は、この無意味な嵩ばった存在に対する怒りで、息が詰りそうになった。
すべてこれらのものがどこからやってさたのか、
また、いかにして無の代りに世界が実存することになったのか、
それを不審に思うことさえできなかった。
それには意味がなかった、世界は到るところ、前にも後にも存在していた。
世界〈以前〉にはなにもなかった。
なにひとつなかった。
それが実存しないことがあり得た瞬間はなかった。
私をいらだたせたのはたしかにそのことである。
もちろん、この流れてゆく幼虫が実存することには〈いかなる理由〉もなかった。
だが、それが実存しないことは〈不可能だった〉、それは考えられなかった。
なぜなら、無を想像するには世界のさ中で大きく眼を開け、
生きながら無の中にすでに入っていなければならなかったから。
無とは私の頭の中のひとつの観念にすぎなかった。
それは、この広大無辺の拡がりの中にこう実存する観念だった。
この無も実存〈以前〉にやってきたのではなかった。
それは他のものと同じ実存であり、他の多くのものの後に出現したのだった。
私は叫んだ、「なんて汚いんだ、なんて汚いんだ」。
そして私は、このべとべとした汚物をふり払うためにからだを揺すった。
しかし汚物は、しっかりとくっついていて離れなかった。
幾トンもの数え切れない実存が無限にそこにあった。
私はこの厖大な倦怠の底で息の詰る思いだった。
それから、とたんに公園が大きな穴のように空っぽになり、
世界は、それがやってきたときと同じやり方で消えた。
あるいは私が眼ざめた―とにかく、私はもう世界を見なかった。
私の周りには黄いろい土が残っていて、そこから死んだ枝が空につきでていた。

私は立上り公園をでた。
柵のところまで行って振り返った。
そのとき公園が私に微笑した。
私は柵によりかかって長い間眺めていた。
樹々や月桂樹の茂みの微笑はなにかを〈意味していた〉、それこそ実存の真の秘密だった。
まだ三週間とは経たないある日曜日、
私は、事物の上に馴合の調子とでもいったものをすでにとらえたことを思いだした。
あれは私に向っての微笑だったのか。
しかし私には、それを理解するいかなる方法もないことを憂鬱な気持で感じた。
いかなる方法もない。
しかしそれはそこにあってなにかを待っていた。
それはある視線に似ていた。
それはそこに、マロニエの樹の幹上にあった……。
それは〈その〉マロニエだった。
事物、それは途中で止ってしまった観念、
自己を忘れ、なにを考えようとしたかを忘れてしまった観念であると言えよう。
その観念は漂っていてある小さな奇妙な意味を持っているのだが、
その意味は事物をはるかに越えてゆく。
その小さな意味が私をいらだたせた。
その意味が私には〈理解できなかった〉からだ、
よしんばこの柵にいつまでも凭れていたところで同じことであったろう。
私は実存に関して知り得た限りのものをすべて学んだ。
私は公園をでてホテルに帰り、以上の文章を書いた。

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by totsutaki2 | 2013-06-23 19:02 | 読書

2013/6/22 ジャン・ポール・サルトル 嘔吐8 不条理

【走った距離】  27.68km
【今月の累積距離】  226.33km
【ペース】 平均 6'08"/km、 最高 5'39"/km
【天気】 くもり 
【気温】 最高 26℃、最低 21℃
【コース】
自宅~会社~伏見
【コメント】
マロニエの根をテーマにした実存の分析の試み。
実存の根源は不条理。
実存とは説明ができないもの。

〈不条理性〉という言葉がいま私のペンの下で生れる。
先ほど公園にいたとき、私はこの言葉を見出さなかった、
といって別に探してもいなかった。
言葉は必要なかった。
私は言葉なしに、事物に〈ついて〉、事物を〈もって〉考えていたのだ。
不条理、それは私の頭の中の一個の概念でも、声の中の一呼気でもなかった。
それは私の足下にあった死んだ長い蛇、あの木の蛇たった。
蛇というか爪というか樹根というか、または禿鷹の趾というか、
なんと呼ぼうと構いはしない。
そして、明確な言葉では表現されないものの、
私は〈実存〉の鍵を、あの〈吐き気〉の、私自身の生活の鍵を発見したことを理解した。
じっさいにおいて、私がつぎに理解し得たあらゆるものは、
この根源的な不条理に帰着する。
不条理、また言葉だ。
私はここでは言葉と争う。
あそこでは、物に達することができたのに。
しかし私はここでは、この不条理の絶対的な性格というものを
できれば決めたいと思うのである。
人間たちの彩色された小さな世界でのある動作、ある出来事、
それは相対的にのみはじめて不条理となるのだ、
すなわち、その動作や出来事に伴う情況との関係において。
たとえば狂人の演説は、狂人の置かれた情況との関係によって馬鹿げているのであって、
その讒言との関係によってではない。
ところでいましがた私は、絶対についての経験をした。
絶対あるいは不条理についての経験を。
あの根、それがなにかとの関係によって不条理となる、そのなにかはひとつもなかった。
ああ、いかにして私にこのことを言葉をもって定義できようか。
小石との、黄いろい草の茂みとの、乾いた泥との、樹との、空との、
みどりいろのベンチとの関係において、不条理であるもの。
不条理であり、他には還元できないもの。
これをなんによっても―よし自然が秘かに語る意味深長な讒言によってさえも―
説明することはできなかった。
もちろん、私はすべてを知っているわけではない。
芽が伸びるのも、樹が成長するのも、見たわけではない。
しかし、でこぼこしたこの巨大な脚を前にしては、無智も知識も問題ではなかった。
説明と理屈の世界は、実存の世界ではないのだから。
円は不条理ではない。
なぜなら円とは、一有限直線の一端の廻転という定義によって充分証明されるからである。
したがって円は実存しない、
それとは反対にこの根は、それが私に説明できない限りにおいて実存していた。
節の多い、自動力がなく名もないその根は私を魅了した。
私の眼をいっぱいにし、それ自身の実存にたえず私をつれ戻した。
「これは樹の根だ」とくり返したところで無駄だった―もはやその手は効かなかった。
私は、吸揚ポンプに似た根の機能から、
〈あれ〉に、海豹のように硬くて目の乱った皮膚に、
油質の、誹風のできた頑固なあの姿に、
考えを移すことは不可能だということがとてもよくわかった。
機能はなんの説明にもならなかった。
機能は、だいたい根がどういうものかを理解させるだけで、
少しも〈あれ〉の説明にはならなかった。
あの色をし、あの形をし、あの硬直化した動きを持つ根は……どんな説明も及ばなかった。
根の特質はそれぞれ少し根からはみだして、根の外に流れだし、
半ば個体になり、ほとんどひとつの物になった。
特質はひとつひとつが根の中で〈余計なもの〉となった。
そしていま、樹の根株全体は、根株それ自身から少し逸脱し、
自己否定をし、奇妙な過剰の中に消えてしまったような印象をうけた。
私はあの黒い爪に腫をあてて擦った。
少し樹皮を擦りむこうと思ったのだ。
別にたいした理由もなく、挑戦するように、
渋茶いろの皮の上に擦過傷の不条理な薔薇いろを表わそうとしたのだ、
世の中の不条理性と〈戯れる〉ために。
しかし足をひっこめたとき、樹皮は相変らず黒いままなのに気づいた。

黒い、とは。
私はこの言葉が収縮し、驚くべき速さでその意味を失ってゆくのを感じた。
黒い、とは。
根は黒く〈なかった〉、その木片の上にあったのは、少しも黒ではなかった
―それは……別のものだった。
円と同様に黒は実存しない。
私は根を眺めていた、それは〈黒以上のもの〉だったか、
それとも〈おおよそ〉黒だったのか、やがて私は自らに問うのをやめた。
なぜなら自分が認識の国にいるような印象を持つたからだ。
そうだ、私は名づけようもない物を、あの不安な気持ですでに詮索した、
すでに私は―無益にも―〈それらのものについて〉なにごとかを考えようと試みた。
しかしそれらのものの冷たくて自動力のない性質が、
見えなくなり、手からこぼれ落ちるのをすでに感じていた。
「鉄道員さんたちの店」のいつかの晩のアドルフのズボン吊り。
あれはすみれいろ〈ではなかった〉。
私はワイシャツの上の定義しようのないふたつの斑点を思いだした。
それから丸い小石、例の小石、この物語すべての発端であるあの小石は……ではなかった。
それがなんになることを拒否していたのか、正確にはよく思いだせなかった。
とはいえ、あの小石の受身の抵抗を忘れはしなかった。
それから独学者の手、
私はその手をある日図書館で握りしめたのだが、
すぐにそれが、ほんとうに手らしくはないように思われた。
私は肥った地虫を想像したが、もちろんそれでもなかった。
それからカフェ・マブリーでのあのビールのコップの胡散臭い透明さ。
胡散臭い。
そうだ、音、匂い、味など、それらはみな胡散臭かった。
そうしたものが、眼の前を、狩りたてられた兎のようにすばやく逃げて行さ、
そしてそれにあまり注意を払わなかったならば、
それらはまったく単純で安心できるものであり、
世の中にはほんとうの青、ほんとうの赤、
巴旦杏や、すみれの本当のにおいがあるのだということを信じることができた。
しかしそれらのものを一瞬たりとも止めておくと、
たちまちこの安心と平安な感情は濃い不安に席を譲る。
色彩も味覚も匂いも決してほんとうではなかった。
それらのものは決してほんとうにそれ自身ではなかったけれども、
またそれ以外のなにものでもなかった。
最も単純で最も分割不能の性質は、
それ自身の裡で、それ自身との関係において、余計なものであるということだった。
私の足とすれすれのあの黒、それは黒であるらしくはなかった。
むしろ、黒いいろをいままで一度も見たことのなかった人が、
黒とはなんであるかを想像する、そして自分の想像を止めるわけにゆかず、
色彩の範囲を超えてなにか得体の知れないものを考えたりする、
そうした混乱した努力とでもいうものがそこにはあった。
それはある色彩に〈似ていた〉、けれどもまた……
打傷、あるいはまた分泌物、滓―さもなくは別のもの、たとえばある匂いに似ていた。
それは濡れた土の匂い、濡れて湿気を帯びた木材の匂いの中に溶けた。
また、ごつごつしたあの木片の上に漆のように拡がっている
黒い匂いや、噛み砕かれ砂糖のように甘い繊維の味の中に溶けた。
私は黒いいろを〈見て〉いるだけではなかった。
見るとは抽象的な作りごとであり、清掃され単純化された観念、人間の観念である。
そこにあるあの黒、形の定かならぬ無気力な現存、
それは視覚、嗅覚、味覚からはるかにはみでていた。
しかしその豊かさは混乱に転じ、最後には、もはやなにものでもなくなった、
なぜならそれは余計なものだったから。

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by totsutaki2 | 2013-06-22 22:32 | 読書

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