自省録

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2012/12/31 12月度の走行距離、カラダスキャン

【走った距離】  14.01km
【今月の累積距離】  338.7km
【天気】 晴れ 
【体重】  65.3kg
【コース】
自宅~鳥飼大橋
【コメント】
12月のランニング距離は338.7km。
2012年のランニング距離は3814.07km。
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体重、内臓脂肪、体年齢が悪化。
毎年この時期には同じような傾向がある。
すこしジャンクフードを食べすぎか?
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by totsutaki2 | 2012-12-31 21:10 | 健康

2012/12/30 陽だまりの樹

【走った距離】  29.02km
【今月の累積距離】  324.69km
【天気】 雨 
【気温】 最高 10℃、最低 9℃
【体重】  64.5kg
【コース】
自宅~毛馬

【コメント】

陽だまりの樹

手塚治虫晩年の長編。

二人の若者、手塚良庵(良仙)、伊武谷万二郎の視点で幕末期を描く。
山岡鉄舟、勝海舟、西郷南洲が登場するので読んでみたが、
主人公ではないため、重要な役割ではない。

考えさせられたのは次の2点、
 1.幕末期は本当に変動の時代
 2.陽だまりの樹

1.幕末期は本当に変動の時代

   文明の衝突、価値観、イデオロギーの崩壊、闘争。
   蘭学医が生涯をかけて旧勢力の漢方医を打ち破った途端
   英、米の時代に変わり、福澤諭吉などを除き
   蘭学者は世の中に追従できなかった。
   260年続いた徳川幕府が大政奉還し、建武親政以来の尊王体制へ。
   武士が民兵、農兵に敗れ、剣の時代から、銃の時代へ。
   開国か、攘夷か。
   開明派の時代から、逆に安政の大獄へ。
   桜田門外の変、第1次、第2次長州征伐、鳥羽伏見の戦い、徳川朝敵、江戸開城。
   日本が衰退し、中国、韓国が絶頂期を迎え、
   ロシア、インド、ブラジルが次の主役を狙う現在、
   家電がスマホにカスタマを奪われ、
   日本の大企業、中小企業が市場から退場勧告を受けている現在を
   変動期だと思っているが、
   幕末期の変化に比べれば小さいのかもしれない。

2.陽だまりの樹

   陽だまりの樹とは白蟻に食われ、今にも倒れようとする桜の古木。
   水戸学者 藤田東湖はこの樹を「三百年の太平に慣れ 倒れそうな幕府の世」
   に例えた。
   佐幕派、攘夷派、開国派、老中、下級旗本、親藩藩士などが
   それぞれの立場、イデオロギーでこの老樹に命を吹き込もうとする。
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by totsutaki2 | 2012-12-30 20:15 | 読書

2012/12/29 神聖 山田錦 純米吟醸 無濾過生原酒2

【走った距離】  10.06km
【今月の累積距離】  295.67km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 13℃、最低 7℃
【体重】  65.5kg
【コース】
自宅~仁和寺


【コメント】
京都産山田錦を全量使用した神聖無濾過生原酒は今年2月以来2回目。
2月の酒は淡麗だが旨い味わいだったが、今回は濃厚。
吟醸といいながら松の翠とは対極にあり、醸造酒のたれ口にはるかに近い。
本気を出せばこんな酒も造れる、という杜氏、蔵人の声が聞こえるよう。
内臓料理にあう吟醸酒。
日本酒のジゴンダス。
米の確保が難しいのだろうが、できれば期間限定ではなく、シーズンを通じて作ってほしい。
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今月のポスター
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2月のポスター
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by totsutaki2 | 2012-12-29 20:08 |

2012/12/28 緑内障18

【走った距離】  2.95km
【今月の累積距離】  285.61km
【天気】 曇りのち雨 
【気温】 最高 8℃、最低 3℃
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
目薬を「ザラカム配合点眼液」に変更して4か月。
左右とも15mmHg。
右目しか点眼していないが左右差なし。
左目の点眼はまだ見送り。
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by totsutaki2 | 2012-12-29 16:30 | 健康

2012/12/27 「夜と霧」再読6 もはや神よりほかに恐れるものはない

【走った距離】  6km
【今月の累積距離】  283.66km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 6℃、最低 -1℃
【体重】  65.3kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
今週は寒い日が続くが、
氷点下、底の開いた靴を履き、ぼろ布のような服を着て、
夜明け前から、屋外で点呼に立たされ、隊列を組んで行進させられ、
重労働をさせられた人々を思う。
伝染病の流行る中、一握りのパンと上澄みのようなスープに命を託した人々を思う。
暴力、罵詈罵声を浴びながら、何年も希望のない日々を耐えた人々を思う。
さらにたとえ一握りとはいえ、そのような状況でも
収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、
勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけ、
苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できた人々を思う。
そして今の自分が如何に恵まれているかを理解する。

今の私など、もし収容所に入れられたなら、なんら抵抗することなく真っ先に
幼児化し、被収容者の心理を地で行く群れの一匹となりはてるであろう。
アウシュヴィッツ収容所には耐えられそうにないが、
せめてドストエフスキーいうところの「苦悩に値」する人間でありたいと思う。
たとえ何があっても。

 収容所を解放された被収容者の心理。
精神的な緊張のあとを襲ったのは、完全な精神の弛緩だった。
体は精神ほどにはがんじがらめになっていなかった。
待ってましたとばかりに、体はのっけからこの現実を利用した。
文字通り、現実につかみかかった。
つまり、わたしたちはがつがつとむさぼり食ったのだ。
わたしたちは何時間も、何日も食べた。それが深夜に及ぶこともざらだった。
人はどれだけ食べることができるのか、信じがたいほどだった。
解放された被収容者のだれかれが収容所近くの親切な農家に招かれると、
彼はまず食べ、コーヒーを飲んでから、ようやく舌が滑らかになり、
そして語りはじめるのだった。何時間もかかる、彼の物語を。
何年ものあいだ、重くのしかかっていた抑圧から解放されたのだ。
彼が語るようすは、まるで心理的強迫であるかのようだった。
それほどに、彼は語らずにはいられないのであり、話さずにはいられないのだ
(たとえ短いあいだでもきびしい重圧のもとにあった人、
たとえば秘密国家警察の尋間にあった人にも
同じようなことが観察されることが知られている)。

 数日が経過し、さらに何日も過ぎて、舌がほぐれるだけでなく、内面でなにかが起こる。
突然、それまで感情を堰き止めていた奇妙な柵を突き破って、感情がほとばしるのだ。
 解放後、何日かたったある日、あなたは広い耕作地を越え、
花の咲き乱れる野原をつっきって、収容所から数キロ離れた小さな町まで歩いていく。
あなたは雲雀があがり、空高く飛びながら歌う讃歌が、
歓喜の歌が空いちめんに響きわたるのを聞く。
見渡すかぎり、人っ子ひとりいない。
あなたを取り巻くのは、広大な天と地と雲雀の歓喜の鳴き声だけ、自由な空間だけだ。
あなたはこの自由な空間に歩を運ぶことをふとやめ、立ち止まる。あたりをぐるりと見回し、
頭上を見上げ、そしてがっくりと膝をつくのだ。
この瞬間、あなたはわれを忘れ、世界を忘れる。
たったひとつの言葉が頭のなかに響く。
何度も何度も、繰り返し響く。
 「この狭きよりわれ主を呼べり、主は自由なるひろがりのなか、われに答へたまへり」
 どれほど長いことその場にひざまずいていたのか、何度この言葉を繰り返したか、
もう憶えてはいない……だがこの日この時、あなたの新しい人生は始まったのだ、
ということだけは確かだ。
そして一歩また一歩と、ほかでもないこの新しい人生に、あなたは踏みこんでいく。
あなたはふたたび人間になったのだ。

 そしていつか、解放された人びとが強制収容所のすべての体験を振り返り、
奇妙な感覚に襲われる日がやってくる。
収容所の日々が要請したあれらすべてのことに、どうして耐え忍ぶことができたのか、
われながらさっぱりわからないのだ。そして、
人生には、すべてがすばらしい夢のように思われる一日
(もちろん自由な一日だ)があるように、
収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、
いつかは訪れるのだろう。
ふるさとにもどった人びとのすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、
もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、
高い代償であがなった感慨によって完成するのだ。

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「夜と霧」再読 おわり。

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by totsutaki2 | 2012-12-27 21:44 | 心の使い方

2012/12/26 「夜と霧」再読5 まともな人間とまともではない人間と

【走った距離】  6km
【今月の累積距離】  277.66km
【天気】 快晴 
【気温】 最高 6℃、最低 3℃
【体重】  65.1kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
フランクルは後年、ナチスの残虐行為がドイツ人の責任だとする考え方に反対し、
ドイツ人を擁護した。
それはフランクルの研究者としての実証的思考の帰結として得られた考えだろうが、
その考えを裏付ける体験があった。

 収容所の監視者のなかにも役割から逸脱する者はいた。
ここでは、わたしが最後に送られ、
そこから解放された収容所の所長のことにだけふれておこう。
彼は親衛隊員だった。
当時は収容所の医師(やはり被収容者たった、実はフランクルのこと)しか知らず、
解放後に明らかになったことだが、
この所長はこっそりポケットマネーからかなりの額を出して、
被収容者のために近くの町の薬局から薬品を買って来させていた。

 これには後日譚がある。
解放後、ユダヤ人被収容者たちはこのドイツ人の親衛隊員をアメリカ軍からかばい、
そのアメリカ人の指揮官に、この男の髪の毛一本たりともふれない
という条件のもとでしか引き渡さない、と申し入れたのだ。
アメリカ軍指揮官は公式に宣誓し、
ユダヤ人被収容者はドイツ人の元収容所長を引き渡した。
アメリカ人指揮官はこのドイツ人親衛隊員をあらためて収容所長に任命し、
親衛隊員はわたしたちの食糧を調達し、近在の村の人びとから衣類を集めてくれた。
 いっぽう、この同じ収容所の被収容者の班長は、ユダヤ人であるが
収容所の親衛隊員からなるドイツ人監視者のだれよりもきびしかった。
このユダヤ人班長は、時と所を問わず、また手段も選ばずに、
手当たり次第に被収容者を殴った。
他方、たとえば先のドイツ人の所長は、わたしの知るかぎりではただの一度も
「彼の」被収容者に手を上げたことはなかった。

 このことから見て取れるのは、ドイツ人の収容所監視者だということ、
あるいは逆にユダヤ人の被収容者だということだけでは、
ひとりの人間についてなにも語ったことにはならないということだ。
人間らしい善意はだれにでもあり、
全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。
境界線は民族、国家や組織などの集団を越えて引かれるのだ。
したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、
などという単純化はつつしむべきだ。
事実はそうではなかった。
収容所の生活から想像されることに反して、
監視者として被収容者に人間らしくたいすることは、
つねにその人個人のなせるわざ、その人のモラルのなせるわざだった。
そのいっぽうで、
みずからか苦労をともにしている仲間に悪をなす被収容者の卑劣な行為は、
ことのほか非難されるべきだ。
品位を欠くこうした人間が被収容者を苦しめたことは、
他方、監視者が示したほんの小さな人間らしさを、
被収容者が深い感動をもって受けとめたことと同じように明らかだ。

 こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。
この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、
まともな人間とまともではない人間と、ということを。
このふたつの「種族」はどこにでもいる。
どんな集団や組織にも入りこみ、紛れこんでいる。
まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。
したがって、どんな集団も「純血」ではない。
ドイツ人の監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。

 強制収容所の生活が人間の心の奥深いところにぽっかりと深淵を開いたことは疑いない。
この深みにも人間らしさを見ることができたのは、驚くべきことだろうか。
この人間らしさとは、あるがままの、善と悪の合金とも言うべきそれだ。
あらゆる人間には、善と悪をわかつ亀裂が走っており、
それはこの心の奥底にまでたっし、
強制収容所があばいたこの深淵の底にもたっしていることが、はっきりと見て取れるのだ。

 わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

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by totsutaki2 | 2012-12-26 22:05 | 心の使い方

2012/12/25 「夜と霧」再読4 人間としての最後の自由2

【走った距離】  6km
【今月の累積距離】  271.66km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 7℃、最低 0℃
【体重】  64.6kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
人間としての最後の自由の続き。
困難な状況でこそ人間の真価は発揮された。
勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけたか?

 ひとりの人間が避けられない運命と、
それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、
きわめてきびしい状況でも、また人生最期の瞬間においても、
生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。
勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけたか、
あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、
あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となりはてたか、
苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、
おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。
そして「苦悩に値」したか、しなかったか。

 このような問いかけを、人生の実相からはほど遠いとか、
浮世離れしているとか考えないでほしい。
たしかに、このような高みにたっすることができたのは、
ごく少数のかぎられた人びとだった。
収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、
苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、
ほんのわずかな人びとだけだったかもしれない。
けれども、それかたったひとりだったとしても、
人間の内面は外的な運命より強靭なのだということを証明してあまりある。

 人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。
おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、
あるいは、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。

 わたしは、ひとりの仲間について語った。
彼は収容所に入ってまもないころ、天と契約を結んだ。
つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には
苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。
この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、
犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。
彼は意味もなく苦しんだり死んだりすることを望まなかった。
わたしたちもひとり残らず、意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。
この究極の意味をここ、この居住棟で、今、実際には見込みなどまるでない状況で、
わたしたちが生きることにあたえるためにこそ、
わたしはこうして言葉をしぼりだしているのだ、
とわたしは語り納めた。
 わたしの努力が報われたことを知ったのは、それからほどなくのことだった。
居住棟の梁に電球がひとつともった。
そしてわたしは、涙を浮かべてわたしのほうへ、
礼を言おうとよろめき寄ってくるぼろぼろの仲間の姿を見たのだ。
しかし、この夜のように、苦しみをともにする仲間の心の奥底に触れようと
ふるい立つだけの精神力をもてたのはごくまれなことで、
こうした機会はいくらでもあったのにそれを利用しなかったことを、
わたしはここで告白しなければならない。

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by totsutaki2 | 2012-12-25 21:45 | 心の使い方

2012/12/24 「夜と霧」再読3 人間としての最後の自由

【走った距離】  27.14km
【今月の累積距離】  265.66km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 5℃、最低 2℃
【コース】
自宅~会社~伏見
【コメント】
典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、
おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

 感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、
最後に残された精神の自由、
つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例は
ぽつぽつと見受けられた。
一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあったのだ。
 強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、
通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、
なけなしのパンを譲っていた人びとについて、
いくらでも語れるのではないだろうか。
そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、
人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、
たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、
人間としての最後の自由だけは奪えない、
実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。

 収容所の日々、いや時々刻々は、
内心の決断を迫る状況また状況の連続だった。
人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、
自由も尊厳も放棄して外的な条件に弄ばれるたんなるモノとなりはて、
「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだ
と誘惑する環境の力の前にひざまずいて堕落に甘んじるか、
あるいは拒否するか、という決断だ。

 この究極の観点に立てば、たとえカロリーの乏しい食事や睡眠不足、
さらにはさまざまな精神的「コンブレックス」をひきあいにして、
あの堕落は典型的な収容所心理だったと正当化できるとしても、
それでもなお、いくら強制収容所の被収容者の精神的な反応といっても、
やはり一定の身体的、精神的、社会的条件をあたえれば
おのずとあらわれるもの以上のなにかだったとしないわけにはいかないのだ。
そこからは、人間の内面にいったいなにが起こったのか、
収容所はその人間のどんな本性をあらわにしたかが、
内心の決断の結果としてまざまざと見えてくる。
つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、
収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、
なんらかの決断を下せるのだ。
典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、
おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

 かつてドストエフスキーはこう言った。
 「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」

 この究極の、そしてけっして失われることのない人間の内なる自由を、
収容所におけるふるまいや苦しみや死によって証していた
あの殉教者のような人びとを知った者は、
ドストエフスキーのこの言葉を繰り返し噛みしめることだろう。
その人びとは、わたしはわたしの「苦悩に値する」人間だ、と言うことができただろう。
彼らは、まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ、
ということを証していた。
最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、
彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。
なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、
美や芸術や自然をたっぶりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。
そうではなく、強制収容所での生のような、
仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、
意味はあるのだ。

 そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、
自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、
まさにその一点にかかっていた。
被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。
しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。
そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、
苦しむことにも意味があるはずだ。
苦しむこともまた生きることの一部なら、
運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。
苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

 おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、
収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。
生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。
しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。
すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。
もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。
抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、
そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

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by totsutaki2 | 2012-12-24 17:59

2012/12/23 「レ・ミゼラブル」 映画

【走った距離】  15.14km
【今月の累積距離】  238.52km
【天気】 くもり 
【気温】 最高 9℃、最低 3℃
【コース】
自宅~大日イオンモール
【コメント】
ミュージカル「レ・ミゼラブル」が
原作プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュによって映画化された。

以前にミュージカル「オペラの怪人」が
やはり原作プロデューサーのアンドルー・ロイド・ウェバーによって映画化されたが
今一つよくなかった。
思い入れが深い分だけ失望が大きかった。

というわけで今回の「レ・ミゼラブル」も期待はしていなかった。
ただしミュージカルを過去4回観て、
10周年記念DVDと25周年記念DVDを所有し、
ヴィクトル・ユーゴーの原作を読み、
ミュージカルナンバーがランニング中のリストになっている、
「レ・ミゼラブル」フリークとしては見ないわけにはいかない。
どうせ見るなら映画館の大画面で見たい。
ということでランニングのついでに大日マイカルで鑑賞。

感想は...及第点。
理由は以下の3点
1.リップシンク(口パク)だと思っていたが、
 アフレコもせず演じながら歌っている。
 演技に合わせた電子ピアノ伴奏を、イヤーピースを聴きながら
 俳優が歌っているのがメイキングを見ると分かる。
2.ミュージカルでは触れられない原作の細部が
 忠実に描かれているのもマニアとしてはうれしい。
・ビヤンヴニュ閣下とその妹
・冤罪法廷にジャン・ヴァルジャンの囚人仲間が出廷
・ぼろ布の人形を抱くコゼットに高価な人形を買い与えるジャン・ヴァルジャン
・ジャヴェールに追われたジャン・ヴァルジャンを
 プティー・ピクプュス修道院で助けられるフォーシュルヴァン爺さん
・ガブローシュが住んでいたバスティーユ広場の巨大な象
・ジャン・ヴァルジャンを襲うテナルディエとパトロン=ミネット
・プリュメ通りの屋敷
・マリユス・ポンメルシーの祖父ジルノルマン
・弾薬を拾いながら撃たれるガヴローシュ
・マリユスを庇って撃たれるエポニーヌ
・カフェ=ミュザン(原作ではユシュルー居酒屋)の二階に追い詰められ、
 酔いから覚めたグランテールと共に銃殺されるアンジョルラス
・下水道で顔まで水につかりながらマリユスを助けるジャン・ヴァルジャン
3.最後にサプライズ
 私にとってジャン・ヴァルジャンと言えば
 ウエストエンドとブロードウェイのオリジナルキャストのコルム・ウィルキンソン
 そのウィルキンソンがミリエル司教(ビヤンヴニュ閣下)役で出演!
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キャストについて
ヒュー・ジャックマン(ジャン・ヴァルジャン):ハンサムすぎるかも。 
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ラッセル・クロウ(ジャヴェール):目が優しすぎる。
 私のイメージではラッセルのほうがジャン・ヴァルジャンに近い。
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アン・ハサウェイ(ファンティーヌ):念願かなって熱演だが、汚れ役は似合わない?
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ヘレナ・ボナム=カーター(マダム・テナルディエ):はまり役。
 アン・ハサウェイと共演なので「アリス・イン・ワンダーランド」を思い出した
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疑問3点
1.冤罪裁判でジャン・ヴァルジャンは一夜で髪の毛が真っ白になるほどの葛藤の末、
 自身の正体を世間に公表する。
 まさにジャン・ヴァルジャンの苦悩と克服、人間的成長をヴィジュアルに表す場面だが、
 映画では髪の色は変わらなかった。
 なぜ髪を白髪にしなかったのかが疑問。
2.シーンのカットが頻繁すぎる。
 ジャヴェールとジャン・ヴァルジャンの対決のコーダ調の場面など、
 もっと長回しで撮ってほしかった。
 ロバート・ワイズは「サウンド・オブ・ミュージック」でそんな編集はしなかった。
3.フィナーレはミュージカルと同じようにファンティーヌとエポニーヌに導かれながら
 ジャン・ヴァルジャンが息を引き取り、天国に上るシーンを期待していた。
 映画では6月革命が民衆の支持を受けて成功する架空のシーンで終わる。
 アンジョルラスやコンブフェール、クールフェラックなどABCの友の思いを考えると
 これも悪くないが、肩透かしに遭ったような気分。
 Thorne roomのないSTAR WARSや
 エイドリアンとの抱擁のないロッキーのようなもの。

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by totsutaki2 | 2012-12-23 21:41 | 映画

2012/12/22 「夜と霧」再読2 退行との戦い

【走った距離】  20.42km
【今月の累積距離】  223.38km
【天気】 雨のち曇り 
【気温】 最高 11℃、最低 8℃
【体重】  64.5kg
【コース】
自宅~豊里大橋
【コメント】
幼児化を免れたのは、環境に負けない強いこころ、精神性の持ち主だった。
こころの強さを保った方法とは?

 強制収容所に入れられた人間は、その外見だけでなく、
内面生活も未熟な段階にひきずり下ろされたが、
ほんのひとにぎりではあるにせよ、内面的に深まる人びともいた。
もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人びとが、
その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、
精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。
そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、
精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。
繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、
ここからしか説明できない。

 資質に恵まれた者が収容所生活で経験する内面化には、
空しく殺伐とした現在や精神的な貧しさから過去へと逃れるという道も開いていた。
一心不乱に、想像を駆使して繰り返し過去の体験に立ち返るのだ。
たいした体験ではない。
過去の生活のありふれた体験やごくささいなできごとを、繰り返しなぞるのだ。
そして、そういう思い出は被収容者の心を晴れやかにするというよりは、悲哀で満たした。
 自分を取り巻く現実から目をそむけ、過去に目を向けるとき、
内面の生は独特の徴を帯びた。
世界も今現在の生活も背後にしりぞいた。
心は憧れにのって過去へと帰っていった。
路面電車に乗る、
うちに帰る、
玄関の扉を開ける、
電話が嗚る、
受話器を取る、
部屋の明かりのスイッチを入れる!
こんな、一見笑止なこまごまとしたことを、被収容者は追憶のなかで撫でさする。
追想に胸がはりさけそうになり、涙を流すことすらある!
 被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。
この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。

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by totsutaki2 | 2012-12-22 19:50 | 心の使い方

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