自省録

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2012/2/28 武士道2

【走った距離】  8.53km
【今月の累積距離】  315.63km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 8℃、最低 0℃
【体重】  65.2kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
武士道の2回目。

人に対する思いやりと感情をコントロールする力を鍛えることによって
こころは強くなり、器は大きくなる。

②寛容と忍耐による陶冶

 繊細な名誉への感覚が、病的ともいえる過度の行為に陥ることに関しては、
寛容と忍耐の教えがそれをくい止める働きをした。
ささいな刺激で怒る者は「短気」として笑い者にされ、
よく知られた諺にも「ならぬ堪忍、するが堪忍」というのがある。
あるいは偉大な武士であった徳川家康は、後世の人に、
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
堪忍は無事長久の基……。
己を責めて人を貴むるべからず」

との教訓を残している。
家康はその生涯をかけて、みずからが説いたことを実証した人であった。
 松浦静山(平戸藩主)という武士が、
わが国の歴史上でよく知られる三人の人物を取り上げ、
その特徴を見事に示す警句を作っている。
織田信長には「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」と詠わせ、
豊臣秀吉には「鳴かぬなら鳴かせてみよう時鳥」、
そして家康には「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」と詠わせた。
 孟子もまた忍耐と我慢を大いに推奨した。
あるところで彼は、
「あなたが裸になって払を侮辱しても、
それが私にとって何だというのか。あなたの乱暴で私の魂を汚すことはできない」
と書いている。
またほかのところでは、
「些細なことで怒るようでは君子に値しない。
大義のために憤ってこそ正当な怒りである」
と説いている。
 武士道が戦いを好まず、我慢を強いて柔和な境地に到達したことについては、
鍛錬されたサムライたちの言葉から窺い知ることができる。
たとえば小河立所は
「人のしうるに逆らわず、己が信ならざるを思え」
といい、熊沢蕃山は
「人の咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと欲を棄ててこそ常に心は楽しめ」
といっている。
 もう一つの例を西郷隆盛の遺訓から引用しておこう。
 「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり」
 「人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己れを尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」

(『西郷南洲遺訓』)
 これらの言葉にはキリスト教の教訓を思わせるものがあり、
実践的な道徳においては自然宗教がいかに啓示宗教に近づくかを示している。
これらの言葉は単に言葉として語られたものではなく、
サムライたちの実際の行動として体現されたものなのである。

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by totsutaki2 | 2012-02-28 23:43 | 心の使い方

2012/2/27 武士道 1

【走った距離】  8.19km
【今月の累積距離】  307.1km
【ペース】 平均 '"/km、 最高 '"/km
【天気】 雪のち晴れ 
【気温】 最高 7℃、最低 1℃
【体重】  65.9kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
中村天風、勝海舟の次は武士道。

Bushido: The Soul of Japan

1900年 新渡戸稲造が日本の道徳観念を世界に説明するために英語で著した書。
発刊後世界的ベストセラーとなる。
セオドア・ルーズヴェルトはこの本を読んで日本びいきとなり、
日露講和条約の調停役となった。
日露戦争はあと1か月戦っていたら日本が負けていた。
武士道の功績、三軍の将に匹敵する。
本来なら原文で読むべきであるが、
博覧強記の新渡戸稲造はギリシャ・ローマの古典や聖書、シェイクスピア、
ヨーロッパ近代史を駆使して、日本の武士道を解説している。
原文では新渡戸の考えの半分も理解できないであろう。

①仏教と神道が武士道に授けたもの

 まずは仏教から論じよう。
仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。
それは危難や惨禍に際して、常に心を平静に保つことであり、
生に執着せず、死と親しむことであった。

 ある一流の剣術の師匠(柳生但馬守宗矩)は、剣の極意を会得した弟子(徳川家光)に
「私が教えられるのはここまで。
これより先は禅の教えに譲らねばならない」と告げた。
「禅」とはディアーナの日本語訳であり、
それは「言語による表現範囲を超えた思想の領域へ、
瞑想をもって到達しようとする人間の努力を意味する」。
 その方法は座禅と瞑想であり、
その目的は私の理解するかぎりでいえば、
あらゆる現象的根底にある原理について、
究極においては「絶対」そのものを悟り、
その「絶対」と自分を調和させることである。

このように定義すれば、その禅の教えは一宗派の教義を超えている。
そしてこの「絶対」を認識し得た者は誰でも、
世俗的なことを超越して「新しき天地」を自覚する
ことができるのである。

 仏教が武士道にあたえられなかったものは、神道がそれを十分に補った。
他のいかなる宗教からも教わらないような、
主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝心などの考え方は、
神道の教義によって武士道へ伝えられた。
それによってサムライの傲慢な性質に忍耐心や謙譲心が植えつけられたのである。


新渡戸稲造はクエーカー教徒である。
キリスト者の仏教論、神道論としても面白い。
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by totsutaki2 | 2012-02-27 23:11 | 心の使い方

2012/2/26 脳のなんでも小辞典

【走った距離】  22.9km
【今月の累積距離】  298.91km
【ペース】 平均 5'48"/km、 最高 5'28"/km
【天気】 くもり 
【気温】 最高 6℃、最低 4℃
【体重】  63.5kg
【コース】
鳥飼大橋~枚方大橋
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【コメント】
脳に関する素朴な疑問に対する解説。

考えるとはどういうこと?

目や耳などから入ってきた情報は、側頭連合野や頭頂連合野など
さまざまな脳の場所で処理され、認識される。
処理した情報は情動的な色合いをつけるために大脳辺縁系に送られる。
こうして処理され、修飾された情報が前頭連合野に伝えられる。
そして前頭連合野を中心に最終的な判断が行われる。
「考える」という作業は脳全体を使う作業だと言える。
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心はどこにあるの?

大脳辺縁系も含めた脳全体の協調した活動が、
知・情・意といった心の働きを生み出していると考えられている。

「病は気から」って本当?

病は気からとは、精神状態やストレスが間接的に免疫系に作用し、
その結果病気が進行したり、治ったり、
健康と維持できたりするのだと考えることができる。

年ともに1日が短く感じられるようになるのはなぜ?

大人になると、毎日同じような生活が続くことにより、脳が退屈をしているから。
(確かにベルギー滞在中の2年間は非常に長かった。)

集中力を高めるには?

余計な情報(音、映像)の入ってこない場所に移動する。
前頭連合野を鍛える。
何かに集中するトレーニングを毎日行う。
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by totsutaki2 | 2012-02-26 18:43 | 読書

2012/2/25 百物語

【走った距離】  27.42km
【今月の累積距離】  276.01km
【ペース】 平均 6'06"/km、 最高 5'17"/km
【天気】 雨 
【気温】 最高 8℃、最低 7℃
【体重】  63.5kg
【コース】
鳥飼大橋~御殿山

今朝は雨だったが
淀川では雲雀が囀りながら空を上り、
鶯​が鳴き始めた。
春が来た。
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【コメント】
百物語

ゲーテの名作「ファウスト」をこよなく愛する手塚治虫は、
生涯に三度、「ファウスト」を漫画化した。
22歳の医大生のころの『ファウスト』、
43歳の頃の『百物語』、
絶筆となった60歳のころの『ネオ・ファウスト』。
『百物語』は日本の戦国時代を舞台に翻案している。

主人公はファウスト・ハインリッヒならぬ一塁半里(いちるいはんり)。
メフィストはスダマという山の怪、『ネオ・ファウスト』と同じく女の子。

平凡な勘定方の一塁がお家騒動に巻き込まれ、
公費横領罪で切腹を命ぜられる。
そこにスダマが現れ、「三つの願いを叶えられたら、魂をもらう」という契約を交わす。
三つの願いとは、「絶世の美男に生まれ変わること」
「天下一の美女を自分のものにすること」
「一国一城の主になること」。

一塁はスダマに助けられ、若侍・不破臼人(ふわうすと)に生まれ変わる。
ファウストが恋する「究極の美女」はヘレナは九尾の狐の玉藻前、
ワルプルギスの夜は百鬼夜行。
不破は玉藻前に精気を抜かれそうになるが、
スダマに助けられ、滝つぼの底に7年間隠れ、
眷属のキツネの捜索を逃れる。
不破臼人は小国に召し抱えられるが、凡庸な領主を退け一国の主となる。

ふたつの願いは叶えることができたが、
「天下一の美女を手にいれたい」という願いだけはしくじってしまった、と話すスダマに、
不破臼人は「天下一の美女は目の前にいる、愛している、もう充分満足した」と言う。
「満足してしまうとあなたの命はおわるのよ」というスダマに、
不破臼人は「かまわない」という。

隣国の支援を受けた旧領主に敗北した不破臼人は、
愛するスダマに魂を与えると言って切腹する。
スダマは不破臼人のタマシイを受け取り不破臼人を天国へと導き、救済する。
スダマはマルガレーテでもあった。
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by totsutaki2 | 2012-02-25 19:44 | 読書

2012/2/24 NIKE+ 2011 RUNDOWNレポート

【走った距離】  8.05km
【今月の累積距離】  248.59km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 12℃、最低 7℃
【体重】  64.7kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
ランニングシューズに加速度センサーをつけると、
アップルのi-PODでランニングのスピードと距離を計測できる。
NIKEがこのサービスをしているので、
この機能はNIKE+(ナイキプラス)と呼ばれる。

2011年度のランニングの統計を見つけたので、
少し遅いが掲載する。
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by totsutaki2 | 2012-02-24 23:22 | ランニング

2012/2/22 銀の匙3

【走った距離】  8.53km
【今月の累積距離】  240.54km
【天気】 雨 
【気温】 最高 12℃、最低 6℃
【体重】  65.1kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
16歳になった主人公が帰郷した伯母さんを訪ねる。
優しく、美しい描写。
これまで読んだ中で最も愛しい文章かもしれない。

 いい道づれのあったのを幸いに
伯母さんが先祖代々の墓参のため、
またなにがなし生国の古い思い出が心を動かして
ほんのしばらくのつもりでこちらをたったのは何年か前のことであった。
それが先へ行きつくとまもなくどっと煩いついて
一時はいけないとまでいわれたのが、
寿命があったとみえてどうぞこうぞ本復はしたものの
年が年ゆえひどくからだが弱ってもう出てくることができなくなり、
自分でもあきらめて遠い縁家の留守番に頼まれることになった。
 かわいい子には旅をさせろという昔風な父の思いつきから
十六の年の春休みに私は持って生まれた憂鬱症をなおすために
京阪地方へ旅行をさせられた。
それで病気がなおったかして私は家から呼びもどされるまでも
いい気に遊びまわってたが、
その帰りにいよいよのお暇乞いのつもりで伯母さんのところをたずねることにした。
伯母さんの往んでるのは「お船手」といって
旧幕時代に藩の御射手組のいたという川ばたの小さな家のたてこんだ一郭であった。
で、なかなかちょいとには家がしれず、
日の暮れるまでたずねあぐんだあげく
とある荒物屋のむかいのお寺のような門のなかへはいっていった。
そこには人が住んでるのかいないのか、
古びきってがらんとして、草一本もないかわりには木も一本もなく、
赤裸でからからしている。
私はあけ放しの上がりロに立って二三べん声をかけてみたがいっこう返事がない。
知らない土地ではあり、夜にはなるし、
心細くなってあたりを見まわしたときに
左ての庭ともいえない二坪はどのあき地との境にある小さな木戸が目についた。
そうっとあけてのぞいてみたら
きたないばあさんがひとり暗いのにあかりもつけず
縁先で海老みたいにこごんで縫いものをしている。
私は案内もなくよその庭先へはいったのに気がとがめて思わず一足あとへさがったけれど、
もうほかにたずねるところもないので木戸のうえから身をかがめて
 「ごめんなさい」
と声をかけた。
ばあさんは知らん顔して針をはこんでいる。
 「ごめんなさい」
 つんぼなのかしら。荷物をさげてる手はさっきからぬけそうなのだ。
たまらなくなって
 「少々伺います」
といいながらずっとはいったらやっと気がついたらしくひょいと顔をあげた。
暗いのでよくは見えないが、
老いさらばって見るかげもなくやせこけてはいるが、
それはたしかに伯母さんだった。
私はただもうはっとしてその顔を見つめていた。
伯母さんはあわてて仕事をかたよせ、
縁側に手をつきかしこまった形になって
 「どなた様でございます。この節ちょっとも目がみえませんで」
 「…………」
 「耳もえろ遠なりましてなも」
 「それでひと様に御無礼ばっかいたします」
 こちらがいつまでも黙ってるものですこしのりだすようにして
 「どなた様でございます」
とくりかえす。
私は胸いっぱいなのをやっとの思いで
 「私です」
といった。
それでもまだ
 「どなた様でいらっせるいなも」
といってしげしげとひとを見あげ見おろししてたが
なにはともあれ心やすい人にはちがいないと思ったらしく、
立ちあがって奥の火鉢のそばにあった煎餅ぶとんを仏壇のわきにしいて
 「さあどうぞおあがりあすばいて」
と招じいれるように腰をかがめた。
そのあいだに私はようやく気をおちつけて笑いながら
 「伯母さんわかりませんか。□□です」
といったら
 「え」
といって縁先へ飛んできてしばらくまたたきもしずにひとの顔をのぞきこんだあげく、
涙をほろほろとこぼして
 「□さかや。おお おお □さかや」
と言い言い自分よりはずっと背が高くなった私を
頭から肩からおびんづる様みたいになでまわした。
そうしてひとが消えてなくなりでもするかのようにすこしも目をはなさず
 「まあ、そのいに大きならんしてちょっともわかれせんがや」
といいながら火鉢のそばにすわらせ、
挨拶もそこそこにもっとなでたそうな様子で
 「ほんによう来とくれた、まあ死ぬまで会えんかしらんと思っとったに」
と拝まないばかりにして涙をふく。
伯母さんは古ぼけた行灯に火をともして
 「ちょっと待っとっとくれんか、ちょっとそこまでいってくるに」
といって足もとのわるいのをこぼしこぼし縁側からいざりおりてどこかへ出ていった。
私はひとりでぼつねんとしながら これが見おさめだな と思った。
そして予想以上の伯母さんの衰えよう、
知らぬまに自分が大きくなってたこと、
昔のことなど考えてるうちにとことこと足音がして、
伯母さんはひとりふたりのしらない人をつれてきた。
それは今生きのこってる伯母さんの古なじみで、
みんな近所に住んでお互いに話し相手になってるのだという。
伯母さんはうれしまぎれに前後の見さかいもなく
 「東京から□さがきたにちゃっといでへん来てちょうだえんか」
といって呼び集めてきたのである。
これらの用のない、気楽な、気のいい人だらけ
つねづねいやになるほどきかされてる「□さ」とはどんな子かしら
という多少の好奇心をもってやってきたのだが、
その評判の「□さ」もやっぱりあたりまいの子供でめるのをみ、
親切にもまた家へとってかえして
砂糖をたっぷり入れたもろこしせんべいの火にあぶればくるくるねじくれて
手におえないやつをたくさんもってきて焼いてくれた。
私が飯まえなのに気がついた伯母さんは
みんながかわりに行こうというのをそれが自分の幸福な特権であるかのように剛情をはり、
定紋つきの小田原提灯をさげて菜を買いに出ていった。
そのあとで私は人たちから 
この家の女主人は娘の嫁入り先へもうながいこと手伝いにいってるのを
伯母さんがひとりで留守をしてるということ、
厄介になるのが気がせつないといって見えない目で家の仕事をしてるのだということなど
きいてるうちに伯母さんは息せききって戻ってきて台所に豆らんぷをつけ、
ことことと晩飯のしたくをしながら東京のだれかれの様子をたずねたりする。
みんなはいいころあいをみて帰っていった。
伯母さんは
 「こんなとこだでなんにもできんにかねしとくれよ」
と申し訳なさそうにいって、大きなすし皿を私の膳のそばにおき、
こんろにかけた鍋のなかからぽっぽっと湯気のたつ鰈を煮えるにしたがってはさんできて 
もういらない というのを
 「そんなことはいわずとたんとたべとくれ」
といいながらとうとうずらりと皿一面に並べてしまった。
気心転倒した伯母さんはどうしてその歓迎の意を示そうかを考える余裕もなく、
魚屋へいってそこにあった鰈を洗いざらい買ってきたのであった。
私は心からうれしくもありがたくも二十幾匹の鰈をながめつつ腹いっぱいに食べた。
 伯母さんはあとでさわりはしないかと思うくらいくるくると働いて
用事をかたづけたのちひざのつきあうほど間ぢかにちょこんとすわって、
その小さな目のなかに私の姿をしまって
あの十万億土までも持ってゆこうとするかのように
じっと見つめながらよもやまの話をする。
私は そんなに目がわるいのに仕事なんぞしないでも といってさんざとめたけれど
 「なんにもせずとひと様の御厄介になるが気がせつないで」
といってどうしてもきかない。
私は伯母さんが家にいたじぶんのことを思いだし、
きたない針山から一本のもめん針をぬきとってあしたの仕事のために糸をとおしておいた。
で、疲れていいるし、伯母さんのからだのことも気づかってまもなく床についたが、
伯母さんは お阿弥陀様に御礼を申しあげる といって、
お仏壇のまえに敬虔にすわって
見おぼえのある水晶の数珠をつまぐりながらお経をあげはじめた。
ちらめく蝋燭の先に照されて病みほうけたからだがひょろひょろと動くようにみえる。
四王大清正の立ち回りをしてくれた伯母さん、
枕の引き出しから目ざましの肉桂俸をだしてくれた伯母さん、
その伯母さんは影法師みたいになってしまった。
伯母さんはようやくお経をすませ、
お仏壇の扉をたてて隣の床にはいりながら
 「いつやらひどう煩った時はまあこれがこの世の見納めかしらんと思ったに、
寿命があったとみえてまたこうやって娑婆ふたげになっとるが、
この年まで生きたでいつお暇してもええと思って
いつも寝るまえにはおひざもとへお招きにあずかるようにお願い申しては寝るが……」
 私が夜着をかけるのをみて
 「寒いことないかえ、風ひいとくれるとどもならんが」
 「…………」
 「朝日がさめるときいが おお おお また命があったわやあと思ってなも…」
 話はいつになっても尽きそうになかったが私はほどよくきりあげて眠りについた。
私たちは互いに邪魔をしまいとして寝たふりをしてたけれども二人ともよく眠らなかった。
翌朝まだうす暗いうちにたった私の姿を
伯母さんは門のまえにしょんぼりと立っていつまでもいつまでも見おくっていた。
 伯母さんはじきになくなった。
伯母さんはながいあいだ夢みていたお阿弥陀様のまえにすわって、
あの晩のような敬虔な様子で御礼を申しあげてるのであろう。
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by totsutaki2 | 2012-02-22 23:15 | 読書

2012/2/21 銀の匙2

【走った距離】  8.74km
【今月の累積距離】  232.01km
【天気】 くもり 
【気温】 最高 8℃、最低 3℃
【体重】  65.5kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
銀の匙から2つ紹介。

一つ目は日清戦争中の学校の様子。
明治時代も「品格のある国民」ばかりではなかったようである。

 それはそうと戦争が始まって以来
仲間の話は朝から晩まで大和魂とちゃんちゃん坊主でもちきっている。
それに先生までがいっしょになって、まるで犬でもけしかけるように
なんぞといえば大和魂とちゃんちゃん坊主をくりかえす。
私はそれを心から苦々しく不愉快なことに思った。
先生は予譲や比干の話はおくびにも出さないで
のべつ幕なしに元寇と朝鮮征伐の話ばかりする。
そうして唱歌といえば殺風景な戦争ものばかり歌わせて
おもしろくもない体操みたいな踊りをやらせる。
それをまたみんなはむきになって
目のまえに不倶戴天のちゃんちゃん坊主が押し寄ぜてきたかのように
肩をいからしひじを張って
雪駄の皮の破れるぼどやけに足踏みをしながら
むんむと舞いあがる埃のなかで節も調子もおかまいなしにどなりたてる。
私はこんな手合いと歯するのを恥とするような気もちで、
わざと彼らよりは一段高く調子をはずして歌った。
またたださえ狭い運動場は加藤清正や北条時宗で鼻をつく始末で、
弱虫はみんなちゃんちゃん坊主にされて首を切られている。
町をあるけば絵草紙屋の店という店には千代紙やあね様づくしなどは影をかくして
至るところ鉄砲玉のはじけたきたならしい絵ばかりかかっている。
耳目にふれるところのものなにもかも私を腹立たしくする。
ある時またおおぜいがひとつところにかたまって
ききかじりのうわさを種にすさましい戦争話に花を吹かせたときに
私は彼らと反対の意見を述べて 結局日本はシナに負けるだろう といった。


枕草子のように四季の思い出を語る。
私も小学生のころに虫籠いっぱいに蝉を取ったのを思い出す。

 夏は毎日蝉とりにうき身をやつす。
もちでとると翅がよごれるといって三盆白の袋を竿のさきへつけ
庭から墓場へとさがしてあるく。
木が多いので一順まわるうちにはいやになるほどとれる。
あぶらはやかましいばかり、見かけがよくないのでとっても張りあいがない。
みんみんはまるまるとふとって嗚き声もひょうげている。
法師蝉は歌がおもしろく、それにすばやいのを目のかたきにして追いまわす。
蜩は手におえない。
唖蝉の声もたてずに袋のなかで身をもだえるのはあわれである。

 また私たちはその季節季節に実のなる木から木へと小鳥のようにあさりあるく。
ぼたん杏の花がに青白く散ったあとに
豆ほどの実が日に日にふくらんでゆくのを心どかしくながめてるうち、
いつかすずめの卵から鳩の卵ぐらいになって、
みずみずと黄みを帯び、頬みたいに赤みをきざし、
しまいには枝がたわんで地についてしまう。
そうなると腹を痛めないかぎりに許しがでるのを
こっそりと間がなすきがなちぎってぼたん杏の曖気がでるまでくう。
それでも食いきれないので紫色にうみすぎたのがぽたりぽたりと落ちる。
それを鳥がねらってきては憎態に尻をふってつっつきまわる。

 楽しみなのは栗のさかりであった。
ひとりは竹竿をもち、ひとりは笊をかかえで鵜の目鷹の目墓地をあるく。
めっきりと露がたれそうにえんだのをみつけたときのうれしさといったらない。
竿のさきでちょんちょんとたたいてみると
いががぴょいぴょいと首をふってさもうまそうな手ごたえがする。
そこでこつんとひとつくわす。ばらばらと落ちる。
とんでって拾いこむ。
そして三つにひとつは試し食いにくってしまう。
いちご。柿。ゆすらや棗はさほどでもないのを意地きたなでひとつも枝には残さない。
かりんは木ぶりに似あわぬやさしい花がさき、
その花に似あわぬいかつい実がなるが、
どさりどさりと落ちるばかりでにおいはよくても渋くはあるし、
それに石みたいで歯もたたない。

 広い庭のあちこちにつくられた花壇やたくさんある立ち木には
そのおりおりに花の絶えることがなかった。
ゆり、ひまわり、金盞花、千日草、葉鶏頭。魚の卵に似た棕櫚の花など。

 夏のはじめにはこの庭の自然は最も私の心を楽しませた。
春の暮れの霞にいきれるような、南風と北風が交互に吹いて
寒暖晴雨の常なく落ちつきのない季節がすぎ、
天地はまったくわかわかしくさえざえしい初夏の領となる。
空は水のように澄み、日光はあふれ、すず風は吹きおち、紫の影はそよぎ、
あの陰鬱な槇の木までが心からかいつになくはれやかにみえる。
蟻はあちこちに塔をきずき、羽虫は穴をでてわがものがおに飛びまわり、
かわいい蜘蛛の子は木枝や軒のかげに夕暮れの踊りをはじめる。
私たちは灯心で地虫をつり、地蜂の穴を埋めてきんきんいう声に耳をすまし、
蝉のぬけがらをさがし、毛虫をつっついてあるく、
すべてのものはみな若く楽しくいきいきとして、憎むべきものはひとつもない。
そんなときに私は小暗い槇の木の陰に立って、
静かに静かにくれてゆく遠山の色に見とれるのが好きであった。
青田がみえ、森がみえ、風のはこんでくる水車の音と蛙の声がきこえ、
むこうの高台の木立ちのなかからは鐘の音がこうこうと響いてくる。
二人は空にのこる夕日の光をあびて
たおたおと羽ばたいてゆく五位のむれを見おくりながら夕やけこやけをうたう。
たまには白鷺も長い足をのばしてゆく。


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by totsutaki2 | 2012-02-21 22:54 | 読書

2012/2/20 銀の匙1

【走った距離】  0km
【今月の累積距離】  223.27km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 9℃、最低 0℃
【体重】  65.7kg
【コメント】
中 勘助が幼少時代を振り返った自伝的作品。
主人公は知恵遅れの子供と周りに見られたが、
同居している伯母さんの愛情に包まれて育った。
今は失われてしまった明治期の風俗が暖かい視点で描かれている。
当時の人の物の見方、考え方、感じ方を伝えるタイムカプセルである。
文章が美しく、素直。
書かれている内容も興味が尽きないが、
その文章を追っていくだけでも心が洗われる。

黒澤 明や小津 安二郎のモノクロ映画を見ているような気になる。

読後に知ったことがだ、この「銀の匙」には面白いエピソードが2つある。

一つ目は夏目漱石によって見出されたこと。
和辻哲郎は以下のように解説している。

この作品の価値を最初に認めたのは夏目漱石である。
漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有のものであること、
またその描写がきれいで細かいこと、
文章に非常な彫琢があるにかかわらず
不思議なほど真実を傷つけていないこと、
文章の響きがよいこと、
などを指摘して賞賛した。
そうしてこの作品は翌年漱石の推薦によって東京朝日新聞に掲載せられた。
当時この作品を漱石ほどに高く評価した人は多くはなかったであろう。
しかし今にして思えば漱石の作品鑑識眼はまことに透徹していたのである。

二つ目は灘中学で教科書として用いられたこと。

教科書を使わず、中学の3年間をかけて
中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業が行われた。
単に作品を精読・熟読するだけでなく、
様々な方向への自発的な興味を促す工夫が凝らされていた。
この授業を受けた最初の生徒たちが、
6年後 東大に15名合格(1956年)、
その6年後には東大に39名・京大に52名合格(1962年)、
更に6年後には132名が東大に合格し、
東京都立日比谷高等学校を抜いて東大合格者数全国一位となる(1968年)。
これら進学実績の向上は、当初からの目的とされたものではなく、
あくまでその成果の一つに過ぎない。

3回に分けて、文章を掲載する。

 
 私の生まれたのは神田のなかの神田ともいうべく、
火事やけんかや酌っぱらいや泥坊のたえまのないところであった。
病弱な頭に影を残した近所の家といえばむこうの米屋、駄菓子屋をはじめ、
豆腐屋、湯屋、材木屋などいうたちの家ばかりで、
筋向こうのお医者様の黒塀と殿様のところの
-私の家はその邸内にあった-
門構えとがひときわ目だっていた。
 天気のいい日には伯母さんは
アラビアンナイトの化けものみたいに背中にくっついてる私を背負いだして
年よりの足のつづくかぎり気にいりそうなところをつれてあるく。
じき裏の路地の奥に蓬莱豆をこしらえる家があって
倶梨迦羅紋紋の男たちがふんどしひとつの向こう鉢巻で
唄をうたいながら豆を煎ってたが、
そこは鬼みたいな男たちがこわいのと、
がらがらいう音が頭の心へひびくのとできらいであった。
私はもしそうしたいやなところへつれて行かれれば
じきにべそをかいてからだをねじくる。
そして行きたいほうへ黙って指さしをする。
そうすると伯母さんはよく化けものの気もちをのみこんで
間違いなく思うほうへつれていってくれた。
 いちばん好きなところは今も神田川のふちにある
和泉町のお稲荷さんであった。
朝早くなど人のいないときには川へ石を投げたり、
大きな木の実のような鈴を鳴らしたりしてよく遊んだ。
伯母さんは私を塵のなさそうな石、
またはお宮の段々のうえなどにおろしてお詣りをする。
穴あき銭がからからとおちてゆくのがおもしろい。
どこの神様仏様へいってもなにより先に 
この子のからだが丈夫になりますように 
といってお願いするのであった。
 ある日のこと私が後ろから帯をつかまえられながら
木柵につかまって川のほうを見てたら
水のうえを白い鳥が行きつもどりつ魚を漁っていた。
その長い柔らかそうな翼をたおたおと羽ばたいてしずかに飛びまわる姿は
ともすれば苦痛をおぼえる病弱な子供にとって
まことに格好な見ものであった。
それで私はいつにない上きげんであったが、
おりあしくそこへ玉子と麦粉菓子を背負った女のあきんどが休みにきたもので
れいのとおりすぐに伯母さんの背中へくっついた。
女は荷をおろしかぶってた手ぬぐいをとって襟などふきながら
なんのかのと上手に愛想を言い言いさしもの弱虫を手なずけてしまって、
そろそろ背中から降りかけるじぶんにはもう麦粉菓子の箱をあけて私を釣りにかかった。
女は小判なりの薫のたかい麦粉菓子をとりだして
指のさきにくるくるとまわしながら
  「坊っちゃん 坊っちゃん」
と手にもたせてくれたので伯母さんはしかたなしにそれを買った。
今でさえ、あの渋紙ばりの籠を大儀そうに肩からはずして
なかば籾がらにうずまってる白い、うす赤い卵や、
ぷんとにおいのあがる麦粉菓子などを見せられると
ありったけ買ってやりたい気がしてならない。
お稲荷さんはその後立派になり、にぎやかにもなったが、
その時の柳ばかりは今も涼しくなびいている。

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by totsutaki2 | 2012-02-20 21:45 | 読書

2012/2/19 レ・ミゼラブル8

【走った距離】  30.18km
【今月の累積距離】  223.27km
【ペース】 平均 6'09"/km、 最高 5'53"/km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 6℃、最低 4℃
【体重】  63.5kg
【コース】
長柄橋~枚方新橋
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【コメント】
ジャン・ヴァルジャンの生涯2度目の告白は、
マリユスへの告白である。
自らの内なる良心の声に耐えきれなくなり、
自らが徒刑囚であると告げる。

 
「あなた」とジャン・ヴァルジャンが言った。
「あなたにうちあけなければならないことがひとつあります。
わたしは、むかし徒刑囚だったのです」
 あまりに鋭い音は耳の受けいれ限度を超えることがあるが、
おなじように精神の理解限度をも超えるものだ。
「わたしは、むかし徒刑囚だったのです」という
フォーシュルヴァン氏の口から出てマリユスの耳にはいったこの言葉は、
限度を超えたものだった。
マリユスには意味がわからなかった。

「なるほど、うそをついてみなさんをだまし、
フォーシュルヴァン氏でおさまっていようと思えばいられたでしょう。
あの子のためになるなら、うそも言えました。
だが、いまは自分のためということになりますから、うそは言えません。
なるほど、黙っていさえすればよかったのです。
そうすれば、すべてこれまでどおりだったでしょう。
なぜ白状しなければならないのか、というおたずねですね? 
良心というおかしなもののせいです。
だが黙っているのはわけもないことだったのです。
そうするように自分を説きふせようと、ひと晩努力しました。
あなたはわたしに告白をおさせになる。
わたしが申しあげにきたことはとても異常なことなんですから、
あなたにはそうする権利がおありになるわけだ。
ええ、そうです。
わたしはひと晩じゅういろいろな理由を自分に言って聞かせました。
とてもりっぱな理由を言って聞かせました。
できるだけのことをやってみたんですよ。
だが、うまくいかなかったことが二つあるのです。

わたしの心をここにとめ、釘づけにし、密着させているあの糸を断ちきることと、
わたしがひとりでいるときそっと話しかけてくるだれかを黙らせることです。

こういうわけで、けさはすべてをあなたに告白しにあがったのです。
すべてを、いやほとんどすべてをです。
申しあげてもしようのない自分だけに関したこともありますが、
それは言わずにおきます。
肝心な点はもうおわかりですね。
わたしは自分の秘密をとりあげて、あなたのところにもってきたというわけです。
そしてあなたの目の前で、自分の秘密をさらけだしたのです。
なかなか容易な決心ではありませんでした。
ひと晩じゅうもがき苦しみました。


マリユスは徒刑囚と知ってジャン・ヴァルジャンを遠ざけていたが、
ジャン・ヴァルジャンこそが
6月革命でマリユスを救ってくれた命の恩人であることを知る。

 
マリユスはすっかりとり乱していた。
あのジャン・ヴァルジャンのなかに、
なにかしら、けだかく暗い姿がかすかに見えてきはじめたのだ。
いままでに聞いたこともない徳が、
崇高で、やさしく、広大無辺のうちにもつつましやかな徳が、彼の前に現われていた。
徒刑囚がキリストに変わりかけていた。
マリユスはこの奇跡にめまいを感じていた。
見ているものがなんなのかはっきりわからなかったが、とにかく偉大なものだった。


天国に旅立つジャン・ヴァルジャン。


「わたしはさっきコゼットに手紙を書いていました。
あとで見つかるでしょう。
コゼットに暖炉の上の二本の燭台を形見に贈ります。
銀製です。だが、わたしにとっては金製です、ダイヤモンド製です。
あれに立てると、普通のろうそくも教会の大ろうそくに変わります。
あれをくださったかたが、天国でわたしに満足しておられるかどうかはわかりません。
わたしはわたしにできることをしました。

コゼット、
おまえのおかあさんの名まえを言うときがとうとうきたよ。
ファンチーヌというのだ。
ファンチーヌというこの名前をよくおぼえておきなさい。
この名まえを目にするときには、かならずひざまずくんだよ。
おかあさんはたいへん苦労をされた。
おまえをとても愛していた。
おかあさんは、おまえが幸福なのと同じぐらい不幸だった。
これは神のお与えになった運命なのだ。
神は天上におられて、わたしたちみんなを見ていらっしやる。
そして、たくさんの大きな星のまんなかで、
ご自分がなにをやっているのか承知しておられるのだ。
さあ、わたしはもう行くよ、おまえたち。
いつまでも深く愛しあいなさい。
この世には『愛しあう』ということのほかには、まずなにもないのだ。
ここで死んだあわれな年寄りのことを、ときどきは思いとしてください。
ああ、コゼット! 
ここしばらく会わなかったのは、わたしが悪いのではないのだ、ほんとうに。
わたしは胸がはりさけるような思いだったのだ。
おまえの家のある通リのかどまでかよったんだよ。
わたしが通るのを見て、みんなはへんに思ったにちがいない。
まるで気が狂ったみたいだったからねえ。
一度など帽子もかぶらずに出かけてしまった。
ねえ、わたしはそろそろ目がはっきりしなくなってきたよ。
まだいろいろと話したいこともあったが、まあいい。
すこしはわたしのことを思いだしてください。
おまえたちは神の恵みを受けたひとだ。
これはいったいどうしたのだろう。
光が見える。もっとそばによっておくれ。
わたしは仕合わせな気持ちで死んでいきます。
おまえたちのいとしいいとしい頭を出してください、
わたしの手を上に置けるように」
 コゼットとマリユスはおろおろと涙にむせびながら、
それぞれジャン・ヴァルジャンの手のそばにひざまずいた。
その神々しい手はもう動かなかった。
 彼はあおむけにたおれ、二本の燭台のほのかな光に照らされていた。
白い顔は天を見ていた。
両手はコゼットとマリユスが雨のようにキスをするのにまかせていた。
彼は死んだのだ。
 その夜は星がなく、まっ暗だった。
おそらく闇のなかにはなにか巨大な天使が、
翼を広げ、魂を待ちうけてたたずんでいたことだろう。

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by totsutaki2 | 2012-02-19 19:29 | 読書

2012/2/18 レ・ミゼラブル7

【走った距離】  22.08km
【今月の累積距離】  193.09km
【ペース】 平均 6'19"/km、 最高 5'37"/km
【天気】 晴れ 
【気温】 最高 5℃、最低 0℃
【体重】 64.5kg
【コース】
豊里大橋~枚方新橋
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【コメント】
ジャベール

ジャン・ヴァルジャンを探し求める警部。厳格な法の番人。
6月革命でジャン・ヴァルジャンに命を救われる。
聖人となったジャン・バルジャンを逮捕することができず、
法に背いたジャベールはセーヌ川に身を投げて自殺する。

 
 ジャヴェールは、ジャン・ヴァルジャンが自分をゆるしてくれたことにはびっくりしていたし、
またこの自分が、ジャン・ヴァルジャンをゆるしてやったことには呆然としていた。
 ジャン・ヴァルジャン、この男こそジャヴェールの精神にのしかかっていた重荷だった。
 ジャン・ヴァルジャンは彼をめんくらわせてしまった。
彼の一生のささえになっていた公理がひとつのこらず、
この男を前にしてくずれてしまったのだ。
ジャヴェールに示してくれたジャン・ヴァルジャンの寛大な気持ちが、
ジャヴェールを押しつぶしてしまったのだ。
いろいろほかの事実を思い出してみると、
まえにはうそか狂気の沙汰と思っていたことが、
いまはほんとうのことのように思われてきた。
マドレーヌ氏の姿がまたジャン・ヴァルジャンのうしろに現われて、
ふたつの姿がかさなりあい、ただひとつの尊敬すべき姿になってしまった。
ジャヴェールはなにか恐ろしいものが魂のなかにしみこんでくるのを感じた。
徒刑囚をほめたたえる気持ちである。
徒刑囚に対する尊敬、そんなものがありうるだろうか? 
彼はそう思うと身ぶるいした。
だが、その気持ちからのがれることはできなかった。
あがいてもむだだった。
心のなかで、あのみじめな男はけだかい人間だと白状せざるをえなかった。
たまらなくいやなことだった。
 善をほどこす悪人。
情けぶかくて、やさしくて、人の助けになり、寛大で、
善をおこなって悪にむくい、許しでもって憎しみにむくい、
復讐よりも情けをえらび、敵をほろばすよりわが身をほろぼそうとし、
自分を打った者にも救いの手をさしのべ、
徳の高みにひざまずく、人間よりも天使に似た徒刑囚! 
ジャヴェールは、こんな怪物がほんとうにいるということを白状せざるをえなくなった。

 ジャヴェールは、この暗闇の入口をじっとみつめながら、
しばらくは身じろぎもしないでいた。
心を集中させてでもいるみたいに、じっと見えないものを見すえていた。
水はザワザワ音をたてていた。
と、いきなり、彼は帽子をぬいで河岸のへりに置いた。
つぎの瞬間、黒くて背の高い人影が、
もし帰りの遅くなった通行人が遠くから見たならば幽霊とまちがえそうな人影が、
手すりの上にまっすぐに立ち、セーヌ河のほうにからだをかがめ、
すぐまたからだを起こすと、闇のなかに足からまっすぐに落ちこんでいった。
水のにぶくざわめく音がした。
そして、水中に消えたこのおぼろな人影の衝動的なおこないの秘密を知っていたのは、
ただ暗闇だけだった。

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by totsutaki2 | 2012-02-18 20:37 | 読書

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