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自省録

2013/10/31 蜂谷彌三郎 望郷7 生き抜く力

【走った距離】  6km
【今月の累積距離】  318.105km
【天気】 快晴 
【気温】 最高 21℃、最低 13℃
【体重】  64.4kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】
何が蜂谷さんに生き抜く力をあたえたのか?
幼いころの苦労から、教えられずに身につけた人生観、

石にかじりついてでも生きる、
どんな状況でも、針の穴のような望みを期待してあきらめない、
水のように運命に順応する。
そして感謝する。

 物心のついたころから、私は「なんとかして生きていかなければならない」
という意識を強く抱いていて、
その思いに追われるようにして生きてきたように思えてなりません。
もちろん人としてこの世に生を亨けた以上、
誰でもその人の人生を歩んでいかなければならないのですし、
千差万別の運命に左右されてそれぞれの道を歩んでいくことになるのですが、
とりわけ私の場合、その運命というものに激しく翻弄されるようにして
人生を歩んできたように思います。
そのせいで、普通の方たちに比べると
「石にかじりついても生きていかなければならない」という意識を
より強く持ったと言えるのではないかと思っています。

 針の穴のようなかすかな望みを
暗闇のトンネルの中で探し求めながら生きてきたのが私の人生でした。

 その体験から、私は運命というのは切り拓くものではなく、
期待することが大事なのだと思っています。
「もしかしたら……」と期待する。
期待して、諦めない。
そういう気持ちで生き抜いていたら、その「もしかしたら」が現実となったのです。
ソ連が崩壊し、家族と連絡がついて、日本に帰ってくることができたのです。

 ソ連にいるとき、よく考えたものです。
なぜ私だけがこんなに苦しまなくてはならないのか。
もしかしたら、私という人間の前世に
これだけの苦しみを受けなければならないようなことがあったのではないか、と。
それが私にこの世で与えられた運命なら、
私はこれに耐えなければならないと思いました。
 しかし、それが私の運命だとしても、
もしかしたら長い長い真っ暗な出口の見えないトンネルの中にも、
針の穴のような小さな望みの光があるのではないかと諦めずに生きてきたのです。
ソ連国籍を受けるときには、水のようになって生きていこうと思いました。
水は入れ物の形に従っていろいろな形に姿を変えます。
あるいは流れる場所に応じて自分の流れる道を探し求めていきます。
そのようにして私も生きるしかない。そう決心しました。
 直面する自分の進路、生きていく道に何も反抗せずに、
すべてをそのまま受け入れて生きていこう。
もしかしたらいつか日本に帰れる日が来るかもしれない。
それだけを目当てに生きてきました。
罪が晴れて無実が証明されたとき、
今さら何を、という空しさを感じたことを私は正直に申し上げます。

 繰り返し言いたいのは、私か自分の人生を後悔しているわけではないということです。
苦難に満ちた人生ではありましたが、今ではそれもありかたいと思っています。
他人様の苦しみを苦しみと思えるようになっただけでも、ありかたい。
他人様の痛みを自分の痛みとして感じられるようになったことをありかたく思います。
 これだけの深刻な道を歩いてこなかったら、
あるいはもし父親の事業が成功していて何の苫労も知らずに生きてきたならば、
私は他人の苦しみを理解できないまま生きていたかもしれません。
そういう人生にどれはどの価値があったかと思うのです。
 苦難の人生であったからこそ、
他人様の苦しみや悲しみがわかるようになったのです。
そんな運命を与えられたことに私は感謝したいと思うのです。

2013/10/31 蜂谷彌三郎 望郷7 生き抜く力_b0217643_22434825.jpg






by totsutaki2 | 2013-10-31 22:50 | 心の使い方

市民ランナーの市井の日常。 日々の出来事、感動を忘れないために
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