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自省録

2013/10/24 蜂谷彌三郎 望郷4 クラウディア

【走った距離】  5.82km
【今月の累積距離】  245.93km
【天気】 曇り 
【気温】 最高 24℃、最低 20℃
【体重】  65.3kg
【コース】
淀駅~会社
【コメント】

クラウディアの生家はロシア革命前は大地主だったが、
革命で父親は粛清され、乞食に売り渡された。
製粉業者に助けられて女中となる。
その後、共産党員として認められ、出納係となる。
軍人と結婚し、息子が生まれ、幸せな家庭を築く。
ところが上司の横領の冤罪で投獄され、夫からは離婚される。
出所後一人で暮らしていたが、境遇が似ている彌三郎に共感を抱く。

スパイ容疑の彌三郎と暮らす間には、銃口をなんども突きつけられるが、
気丈にも彌三郎の前に立ちはだかり
「殺すなら私を撃ってから」とクラウディアは命を投げ打って、彌三郎を助けた。
共に支えられる暮らしが37年も続いた。

ソ連崩壊後、クラウディアは、三郎の生き別れた妻子が
鳥取で健在であることを突き止める。
彌三郎に黙って、ハバロフスクの日本総領事館に彌三郎の直訴する。
彌三郎の帰国はすなわち自分との別れを意味することを
十分に認識した上での決断と行動である。
シベリア・アムール州での独居生活を余儀なくされてでも、
夫の帰国と帰国を待ちわびる日本人妻・久子への気遣いを優先させた。
自分の離婚と引き換えに帰国許可を とり、彌三郎を日本に帰還させた。

クラウディアは彌三郎が日本に帰るとき、
こつこつ貯めてきた葬式代を銀行からおろしてドルに変え,
こっそり彌三郎のトランクに入れた。

お金とともにトランクに忍ばせたプログレス村の写真の裏に書かれた
クラウディアの別れの詩。

ときどき、思い出してください。
ロシアを、プログレス村を……。

私たちは、思いもよらない人生での出逢いをしました。
似通った運命が私たちを引き寄せたのでした。
教会で結婚式を挙げずとも、誠実の誓いを行わずとも、
私たちの人生は誠実で、そして神聖でした。
私たちの暮らしは、決して裕福でも贅沢でもありませんでした。
私たちの人生は、常に恐怖のもとで過ぎていったのでした。
どうか、あんな疑いが二度と繰り返されないように。
どうか、年老うるまで安らかに生き永らえますようにと、
長い間、朝夕、祈っていたのでした。

一切の責任は戦争にあるのです。

私は、心からあなたを理解しておりました。
ご両親や弟妹、たった生後一年あまりで別れた娘さんや奥さんがいる祖国を、
恋しく思うあなたの心のうちを……。
私たちは、こまごまとしたそのすべてを思い浮かべて、
涙とともにいつも思い出話は尽きませんでした。
食事の時間も忘れて身を砕くようにして、ただ一心不乱に働きましたね。

そして、長い年月が流れました。
私たちはようやく、その人たちが健在であることを知ったのでした。
娘さんやお孫さんたち、それに年老いた奥さんが
一途にあなたの帰りを待ち焦がれていることを……。

今、年老いたあなたが多くの病を抱えて、
一切が失われたようだった祖国へやっと帰っていくのです。
奥さんや娘さん、お孫さんたち、弟妹、友人たちが待っている祖国へと……。

もはや私たちは、再び会うことはないでしょう。
これも私たちの運命なのです。
他人の不幸の上に私だけの幸福を築き上げることは、私にはどうしてもできません。
あなたが再び肉親の愛情に包まれて、祖国にいるという嬉しい思いで、
私は生きていきます。
私のことは心配しないでください。
私は自分の祖国に残って生きていきます。
私は孤児です。
ですから、私は忍耐強く、勇敢に生きていきます。

私たちは、このように運命づけられていたのでした。
三十七年あまりの年月をあなたと共に暮らせたこと、
捧げた愛が無駄ではなかったこと、私はこの喜びで生きていきます。
涙を見せずに、お別れしましょう。
過去において、もし私に何か不十分なことがあったとしても、
あなたは一切を許してくださると思います。
あなただけは、この私を理解してくださると信じています。
私か誠実な妻であり、心からの友であったことを……。
あなたたちの限りない幸せと長寿を、心から祈り続けることをお許しください。

1997年 3月21日   クラウディアより


これは後日談になりますが、クラウディアは2003(平成15)年に日本を訪れました。
滞在の日程を終えてロシアに帰るというとき、
私は新潟の空港までクラウディアを見送りに行きました。
私はそこから伊丹空港に帰る予定でいたのですけれど、
ハバロフスク行きの便と伊丹行きの使の出発時間がほとんど同じでした。
それでエスカレーターのところで、
 「じゃあ元気でね」
と言って握手を交わして別れることになりました。
そのときクラウディアは言いました。
 「もうこれが最後ですね」
私も言いました。
 「ああ、最後だろうね」
それから一瞬躊躇したのち、クラウディアは一言こう言ったのです。
 「国際電話だけは絶たないで」
その瞬間、彼女の目からポロポロと涙がこぼれ落ちました。
クラウディアが自分のことで涙を流すのを、私はそのとき初めて見ました。
私か日本の家族と幸福になるように、クラウディアは尽くしてくれました。
それでもやはり、37年間お互いに励まし合い、いたわり合って暮らしてきた仲です。
その思い出というものは簡単には断ち切れない。だから、
 「国際電話の通話は高くつくかもしれないけれど」
と遠慮しながらも、
 「それだけは絶たないでほしい」
搾り出すように言ってポロポロポロッと涙をこぼしたのです。
彼女の気性をよく知っているだけに、
なおさらその涙が私には重くのしかかってきました。
それが最後の言葉になりました。こらえていた涙が堰を切ってこぼれだして、
あとは言葉になりませんでした。
涙を流すクラウディアを見ていると、
 「あなたたちの幸福が私の幸福だ」
という言葉は彼女の強気な面が言わせているのであって、
実際は別れてしまったつらさがあるのだと今さらなからに感じました。
その涙を見たとき、天涯孤独のクラウディアを
また一人の孤独な生活に追いやってしまう私の運命を怨みました。

2013/10/24 蜂谷彌三郎 望郷4 クラウディア_b0217643_5115525.jpg






by totsutaki2 | 2013-10-24 22:41 | 心の使い方

市民ランナーの市井の日常。 日々の出来事、感動を忘れないために
by TOTSUTAKI

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