自省録

2013/6/23 ジャン・ポール・サルトル 嘔吐9 悟り

【走った距離】  22.41km
【今月の累積距離】  248.74km
【ペース】 平均 6'19"/km、 最高 5'35"/km
【天気】 曇り時々雨 
【気温】 最高 25℃、最低 23℃
【体重】  64.7kg
【コース】
鳥飼大橋~枚方大橋
【コメント】
サルトルの嘔吐は今日で終了。
実存に気づいてから悟りに至るまでの過程を、
淡々と、しかし鮮やかに描く。
紙屑、電車、マロニエなどの描写も見事。
「カラマーゾフ兄弟」以来最も引き込まれた一冊。

この瞬間は異常なものだった。
私はそこにいて身動きせず、凍りついたようにじっとして、怖ろしい法悦に浸っていた。
しかしこの法悦のさ中において、なにか新しいものがいましがた現われた。
私は〈吐き気〉を理解し、それに精通したのだ。
じつを言えば、私は自分の発見したものを、言葉に直したのではなかった。
しかしいまとなっては、言葉にすることは容易だろうと思う。
肝要なこと、それは偶然性である。
定義を下せば、実存とは必然ではないという意味でもある。
実存するとは、ただ単に〈そこに在る〉ということである。
実存するものは出現し、偶然の〈出会〉に任せるが、
実存するものを〈演繹する)ことは絶対にできない。
これを理解した人はいると思う。
ただ彼らは、必然的にして自己原因なる存在物を考えだし、
この偶然性を乗り越えようと試みた。
ところで、いかなる必然的存在も実存を説明することはできない。
偶然性とは消去し得る見せかけや仮象ではない。
それは絶対的なものであり、それ故に完全な無償なのである。
すべてが無償である、この公園も、この町も、そして私自身も。
もしもこのことを理解するに到るならば、それは人びとの気持をむかつかせ、
すべてが、いつかの晩の「鉄道員さんたちの店」におけるように漂いはじめる。
それが〈吐き気〉なのだ。
それが〈ろくでなし〉―緑が丘の住人とかまた別の者たち―が、
権利の概念を振り廻して隠そうと試みたものである。
しかしなんと哀れな虚言だろうか。
だれにも権利はないのである。
奴らも他の人びとと同様に完全に無償であり、
自分が余計なものであることを感じないわけにはゆかない。
彼らは彼ら自身の裡においてひそかに、〈余計なもの〉なのである。
すなわち、無気力で曖昧で陰気なのである。

あの魅入られた状態はどれほど続いたか、私はマロニエの樹の根で〈あった〉。
あるいはむしろ、完全に、根の実存についての意識だった。
とはいえ、やはりその意識からは解放されていたが
―なぜならそれについての意識を持っていたから―
それでも意識の中にまぎれこみ、意識以外のなにものでもなかった。
居心地の悪い意識。
けれども、突出しているあの自動力のない木片へと、
からだの重さごと引かれてゆくままになっていた意識。
時の流れが止まった。
足元にてきた小さな黒い水溜り。
この瞬間〈以後に〉なにかか起きることは不可能たった。
私はこの怖ろしい悦楽から自分を引離そうと思ったが、
それができるなどとは想像さえつかなかった。
私はとらわれていたのである。
黒い根は〈通過しなかった〉。
それは、切れはしが大きすぎて喉につかえるように、私の眼の中に残っていた。
それを呑みこむことも、叶ぎだすこともできなかった。
いかばかりの努力を払って私は眼を挙げたか。
いや、ほんとうに眼を挙げたのか、むしろつぎの瞬間に顔をのけぞらせ
眼を空にむけて生れ変るために、一瞬の間消え失せたのではなかったか。
だがじっさいにおいて、私は移行の意識を持たなかった。
ただ、たちまち私には、樹の根の実存を考えることが不可能になった。
その実存がかき消えた。
私は無益にも呟いた、それは実存する、それはやっぱりそこにある、
私の右足すれすれにベンチの下にある、と。
だがこの言葉にはもはやなんの意味もなかった。
実存とは遠くから考えられるなにかではない。
それは人をふいに襲い、人の上で止まり、
肥った動かないけだもののように人の心にのしかかる
―さもなければ、もはやなにひとつない、というものでなければならぬ。

もはやなにひとつなかった。
私の眼は虚ろになり、解放されたことに大いに満足した。
それからたちまちそれが私の眼前で動きだした。
軽快な不確かな運動である。
風が樹の梢を揺らしたのだった。

なにか動くものを見るというのは不快なことではなかった。
それは、凝視する眼ざしのように私を眺めていた、
身じろぎしないこれらすべての実存から、私を解放した。
枝々の揺れを眼で追いながら私は思った、
運動というものはまったく絶対に実存しない、
それは移行であり、ふたつの実存の間の中間のものであり、弱拍である、と。
実存が無から出、徐々に成熟し、花咲くのを見ようと私は待ち構えていた、
かくてついに、生れつつある実存の不意を襲うことができると思って。

こうした私のすべての希望が一掃されるには、三秒とはかからなかった。
周囲を盲人のように撫でていた、ためらい勝ちな枝の上に、
実存への〈移行〉をとらえることはできなかった。
移行という考えもやはり人間の考案したものであり、あまりにも明確な概念である。
これらのかすかなすべての動きは孤立し、動きとして確立していた。
これらの動きは、四方八方で枝や小枝からはみだし、
それらのかさかさした手の周りで渦を巻き、小さな旋風で手を包んでいた。
もちろん、運動は樹とは別のものだった。
しかし運動はやはり絶対的なものであり、物である。
私の眼は絶対に充実したものにしか出会わなかった。
枝の尖端で実存がひしめいていた。
その存在はたえず更新されるだけで、決して新しく生れではしなかった。
実存する風が、大きな蝿のように樹の上にきてとまった。
すると樹が揺れだした。
しかしこの揺れは、新しく生れた性質でも、可能態から現実態への移行でもなく、
物そのものだった。
〈揺れる―もの〉が樹の中に紛れ込み、樹を奪い、樹を揺らし、
それからふいに樹を放棄すると、遠くへ行って、くるくると廻った。
すべてが充実し、すべてが現実態の中にあって、弱拍はなかった。
すべてが、いちばん微細な跳躍さえもが実存によって作られていた。
そして樹の周囲を忙しく立ち廻っていたこれらの実存するものは、
どこからきたのでも、どこへ行くのてもなかった。
たちまちそれらのものが実存し、それから、同じくたちまち実存しなくなった。
実存とは記億のないもの、行方不明者であり、なにひとつ―思い出さえも止めておかない。
到るところにあり、際限もなく、余計なもので、つねにどこにでもいる実存、
それは―実存によってしか限定されない。
はじまりのない存在物のこれらの豊かさに茫然自失しうんざりして、
私はベンチに崩折れた。
到るところ、孵化と開花かあり、私の両耳には実存ががんがん響き、
私の肉体そのものがぴくぴく動いて半ば口を開け、宇宙的な発芽に身を任せていた。
それは嫌悪すべきものだった。
「けれどもなぜ、こんなにたくさんの実存があるのか、
それはみんな互に似ているからだろうか」と私は考えた、
みな似たような樹がこれほどたくさんあることが、なんの役に立つのか。
たくさんの実存は失敗し、執拗にも再びやり直し、またもや失敗する
―あたかも仰向けに倒れた昆虫の不器用な努力のように
(私もまたそうした努力のひとつだった)。
この豊かさば、寛大の 結果ではなく、その逆だった。
この豊かさは、陰気で虚弱な感じがし、自分を持てあましていた。
これらの街々、その不器用な大きなからだ……。
私は笑いだした、
なぜなら書物の中に描かれている、軋る音や破裂や巨大な開花に充満した
途方もない春の描写を突然思いだしたからである。
権力への意志とか生存競争とかについて語った馬鹿者たちがいた。
いったい奴らは、一頭のけだものなり、一本の樹なりを眺めたことはなかったのか。
円形脱毛症に催って幹がまだらになっているあのすずかけの樹、
半ば腐っているあの樫、
それを空に突出する若い荒々しい力と見做させようとするのか。
ところでこの樹の根は。
恐らく私は、貪慾な爪が大地を裂き、そこから滋養物を奪い取る様を
想像すべきなのだろうか。

そのような具合にこれらの事物を見ることは不可能である。
柔軟で軟弱なもの、そうだ。
樹々は漂っていた。
空への突出というのか。
いやむしろそれは意気沮喪である。
-------
〈それらは実存したいという欲望を持っていなかった〉。
ただ実存するのをやめることができなかった、というだけである。
そこでそれらのものは、静かにやる気もなく、知る限りの小細工を弄した。
樹液は心ならずも脈管の中をゆっくりと遡り、樹の根はゆっくりと土につきささった。
けれどもたえずそれらは、すっかりそこに根を下ろしそうでもあり、
消えてしまいそうでもあった。
疲労し年老いてそれらは不機嫌に実存し続けた。
死ぬにはあまりにも弱く、死はそれらにとって、
外部からのみやってくることが可能であったからである。
内在的必然として、自分の裡に自分自身の死を誇らしく持っているものとしては、
音楽の調べしかない。
ただそれは実存しないのである。
実存するものはひとつ残らず理由なく生れ、弱さによって生き延び、
出会いによって死んで行く。
私は思わずうしろによりかかり瞼を閉じた。
しかし急をきいて直ちに駆けつけたさまざまな心像が跳びはね、
私の閉じた眼を実存をもって満たした。
実存とは、そこから人間が離れることのできない充実したものである。

不思議な心像。
それは一群の事物を表わしていた。
ほんとうの事物ではなく、本物に似た別の事物である。
椅子や木靴に似た木製品、植物に似た別の物。
それから、ふたつの顔が現われる。
それはいつかの日曜日、カフェ・レストランのヴェズリーズで食事をしていた、
私の近くにいた夫婦だった。
ふたりの顔は脂ぎって、暖かく、肉感的で、無意味で、火照った耳をしていた。
私は女の肩と胸とを思いだした。
それが裸の実存である。
そのふたつのもの、女の肩と胸―それがふいに私に嫌悪を催させた―
このふたつのものは、ブーヴィルのどこかで実存し続けていた。
それは、どこかで―どんな匂いに包まれてであろうか
―あの柔かい胸は新鮮な布に愛撫され、レースの中に縮まり続けていた。
女は、たえずその胸が胴着の中で実存することを感じ、
「あたしのおっぱい、新鮮な果物」とたえず考え、
そして擽ったい胸の歓喜を待ちながら、謎の微笑を浮べ続けていた。
それから私は大声を挙げた、そうして、眼を大きく見開いて我に返った。

あの巨大な現存を夢みたのか。
それは公園の上にのしかかり、街々の中に転落してそこにあった。
まったくぶよぶよであり、なんにでもべたつき、厚ぼったくてジャムのようだった。
ところで私は、公園全体とともにこの巨大な現存の中にいたのか、
私は怖ろしかった、いやそれ以上に腹が立った。
それが馬鹿馬鹿しく当をえないと思われた、けがらわしいこのマーマレードがいやになった。
だがそれが、なんとたくさんあったことか。
それは空の高さにまで昇った、
それは到るところに行き、あらゆるものを膠質の疲労困憊で満たした、
それはものすごく奥深かっと、途方もなく奥深かった、
それは公園の枠を越え、家々を越え、ブーヴィルを越える奥深さだった。
私はもはやブーヴィルにはいなかった、どこにもいなかった、私は漂っていた。
だがそのことに驚かなかった、それが〈世界〉であることをよく知っていたから、
赤裸々な〈世界〉は、かくて一挙に姿を現わした、
私は、この無意味な嵩ばった存在に対する怒りで、息が詰りそうになった。
すべてこれらのものがどこからやってさたのか、
また、いかにして無の代りに世界が実存することになったのか、
それを不審に思うことさえできなかった。
それには意味がなかった、世界は到るところ、前にも後にも存在していた。
世界〈以前〉にはなにもなかった。
なにひとつなかった。
それが実存しないことがあり得た瞬間はなかった。
私をいらだたせたのはたしかにそのことである。
もちろん、この流れてゆく幼虫が実存することには〈いかなる理由〉もなかった。
だが、それが実存しないことは〈不可能だった〉、それは考えられなかった。
なぜなら、無を想像するには世界のさ中で大きく眼を開け、
生きながら無の中にすでに入っていなければならなかったから。
無とは私の頭の中のひとつの観念にすぎなかった。
それは、この広大無辺の拡がりの中にこう実存する観念だった。
この無も実存〈以前〉にやってきたのではなかった。
それは他のものと同じ実存であり、他の多くのものの後に出現したのだった。
私は叫んだ、「なんて汚いんだ、なんて汚いんだ」。
そして私は、このべとべとした汚物をふり払うためにからだを揺すった。
しかし汚物は、しっかりとくっついていて離れなかった。
幾トンもの数え切れない実存が無限にそこにあった。
私はこの厖大な倦怠の底で息の詰る思いだった。
それから、とたんに公園が大きな穴のように空っぽになり、
世界は、それがやってきたときと同じやり方で消えた。
あるいは私が眼ざめた―とにかく、私はもう世界を見なかった。
私の周りには黄いろい土が残っていて、そこから死んだ枝が空につきでていた。

私は立上り公園をでた。
柵のところまで行って振り返った。
そのとき公園が私に微笑した。
私は柵によりかかって長い間眺めていた。
樹々や月桂樹の茂みの微笑はなにかを〈意味していた〉、それこそ実存の真の秘密だった。
まだ三週間とは経たないある日曜日、
私は、事物の上に馴合の調子とでもいったものをすでにとらえたことを思いだした。
あれは私に向っての微笑だったのか。
しかし私には、それを理解するいかなる方法もないことを憂鬱な気持で感じた。
いかなる方法もない。
しかしそれはそこにあってなにかを待っていた。
それはある視線に似ていた。
それはそこに、マロニエの樹の幹上にあった……。
それは〈その〉マロニエだった。
事物、それは途中で止ってしまった観念、
自己を忘れ、なにを考えようとしたかを忘れてしまった観念であると言えよう。
その観念は漂っていてある小さな奇妙な意味を持っているのだが、
その意味は事物をはるかに越えてゆく。
その小さな意味が私をいらだたせた。
その意味が私には〈理解できなかった〉からだ、
よしんばこの柵にいつまでも凭れていたところで同じことであったろう。
私は実存に関して知り得た限りのものをすべて学んだ。
私は公園をでてホテルに帰り、以上の文章を書いた。

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by totsutaki2 | 2013-06-23 19:02 | 読書

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